« 与詩(よし)を迎えに(30) | トップページ | 与詩(よし)を迎えに(32) »

2008.01.21

与詩(よし)を迎えに(31)

ちゅうすけの言い訳】 銕三郎(てつさぶろう)が江戸を発(た)って、途中、芦の湯へ寄り道したが駿府まで6日、帰路はまだ2泊しかしていないのに、道中記のほうが30回を越えてしまった。まったく旅馴れない筆者のせいと、お許し願いたい。

銕三郎は、午後、まだ陽の高いうちに、阿記(あき)を伴って三島大社へ詣でた。
大鳥居前の路地を入ったあたりに店があるという、居酒屋〔お須賀〕を見つけておくためであった。
阿記は、若妻気分にでもなったか、浮き浮きした足どりで並んだ。

大鳥居をくぐったすぐの神池では、足音を聞きつけた真鯉や錦鯉が群をなして寄ってきた。
「錦鯉を恋魚(こいぎょ)とも言うんですって」
「初耳だけど、そんな風情に見えなくもないな」

_260
(三島大社鳥居前と神池 『東海道名所図会』
 塗り絵師:ちゅうすけ)

あと数日で尼寺へ入るという阿記は、大社の拝殿でずいぶん長いあいだ手をあわせていたが、何を祈願したか、銕三郎はあえて問わなかった。

_360
(三島神社 『東海道名所図会』 塗り絵師:ちゆうすけ)

_280_2
(三島神社 中門 奥は神楽殿 拝殿はその奥)

_360_3
(三島神社 拝殿)

この季節の日没は早い。七ッ半(午後5時)には行灯(あんどん)に灯(ひ)を入れないと部屋が暗くなる。
さま。湯で躰の匂いをよく洗い流してから、お出かけになってください」
言われたとおりに、湯につかった。昼間、お芙沙(ふさ)にも匂いのことでからかわれたからである。
午後も、八ッ半(3時)のおやつを阿記に、ねだられていた。

_260
(寛永の頃から時を告げた鐘 三ッ石神社
 三島観光協会パンフレットより)

時の鐘が六ッ半(7時)を知らせた。
銕三郎は一人だけで〔甲州屋〕を出た。
熟考の末、今夜のところは、阿記とのことは、権七(ごんしち)には伏せておこうということになったのである。

〔お須賀〕には、数人の客があった。武家姿の銕三郎に、一斉に怪訝な目(まなこ)を向けたが、すぐにそれぞれの盃にもどる。
風速(かざはや)〕の権七の姿は、その中にはなかった。
須賀らしい年増が、せまい調理場で、ちろりを燗していた。
権七どのにお目にかかりたいのですが---」
雰囲気にそぐわない丁寧な言葉づかいに、客たちが、こんどは驚いたような目で、銕三郎を見た。
長谷川さまですね?」
うなずくと、すぐ奥の部屋へ、
「お見えだよ、あんた」

「いやあ、こちらから、〔樋口屋〕へともおもいましたが、わけありで、敷居が高うございましてね」
須賀どののことですね。本陣のご新造から、ここのことも聞きました。それはそうと、先日は、妙薬〔足速(あしばや)膏薬〕、かたじけなく。さすがに、よく効きます」
「ほう。お使いくださりましたか。おーい。酒と肴を早くしいてくれい!」

権七の盃を満たしながら、銕三郎は芦の湯の〔めうが屋〕での、〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛との話し合いはどう決着がついたのかと訊いた。
「そのことで、長谷川さまに謝らないとなりません。じつは、長谷川さまのお名前をだしちまいまして---」

勘兵衛を脇へ引きこんで、
「おめえさんも、平塚一帯でいい顔になろうってお人だ。こんな脅し、いくらの手間賃でやってるのか知らねえが、もっと先を読んだらどうだ。おれが、お頭と決めた長谷川の若さまは、とてつもなく大きな将来株だ。この若さまに引きあわすから、〔めうが屋〕のむすめの件は忘れろ---とまあ、こう言ってやったんでさあ」
「ひゃあ---部屋住みの拙が将来株とは、虚言がすぎます」
「いいえ、そうではありませんよ、長谷川さま。あなたさまは、自身では気がついていらっしゃらねえが、たいへんな器量をお持ちでござんす。あっしには、ようく見えております。先行き、10年もしたら、一軍の将になっていらっしゃいます」
権七どの。おだても、ほどほどにしておいてください」
「おだてなんかではごぜえません。こう見えても、〔風速〕の権七、男の器量を見る目はたしかです。あなたさまは、おんなも惚れるでしょうが、それ以上に、男が惚れきる器量をお持ちなんですぜ」

「それで、勘兵衛どのは納得されたのですか」
「叩けば、躰中から、埃がぱっ、ぱっと、箱根の山々に湧く霧よりも濃いのが出る野郎です。先々、長谷川さまが盗賊博打改メにでもおなりになってみろ、お目こぼしもあろうってもんだ---とも言ってやりました」
「火盗改メですか。あれを拝命できるのは、先手の組頭ですからね。わが長谷川家には、これまで、先手の組頭まで出世した者がいないんですよ」
「何をおっしゃいますか、長谷川さま。お上だって、目のないお方たちばかりではありませんでしょう?」

この話しあいで、銕三郎は、
(雲助と呼ばれている者の中にだって、権七どののように、知恵ある人材もいるんだ)
(人というのは、神仏祈願とおなじで、今がことより、先の自分に人生を賭けてみたがる生きものなんだな)
(自分のことを、自分で持ち上げたのでは、人---世間---は信用してくれないが、権七どののような披露(ひろ)め屋さんの口から出れば、信用される)
といった人生の要諦(ようてい)を学んだ。

父・宣雄が、いまの小十人の頭(かしら)から、先手・弓の組頭に抜擢されることは予見していなかった。
この時は、権七のほうが人を見る目があったということであろう。

|

« 与詩(よし)を迎えに(30) | トップページ | 与詩(よし)を迎えに(32) »

079銕三郎・平蔵とおんなたち」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 与詩(よし)を迎えに(30) | トップページ | 与詩(よし)を迎えに(32) »