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2008.01.20

与詩(よし)を迎えに(30)

「預けた与詩(よし 6歳)の様子を見に、本陣の〔樋口〕へ行くが、阿記(あき 21歳)はどうする?」
「お芙沙(ふさ)さんにお会いするのが照れくさいから、遠慮しておきます」
「なにも、照れることはあるまい」
「昨夜(ゆうべ)のことなら、女同士、どうってこともございません。しかし、この昼間のこととなりますと、いくらなんでも、色狂いの度がすぎるとあきれられましょう」
「結った髷(まげ)もきれいなままだし、わかるはずはないとおもうが---」
「そのほうについての、おんなの勘は鋭いのです。匂いでばれてしまいます。湯につかっても消えないのですから。ましてや、この昼間はそのままですから---」
「むつかしいものよのう。どうだ、拙の躰からも匂うか?」
「当の本人たちには嗅ぎわけはできませぬ。自分たちの匂いに鼻がなじんでしまっておりますゆえ」
「自分たちの---なあ。それでは、ばれるな」
「ばれようとも、男の方にとっては、手柄首ですから、なんのことはございません」

4年前、先代の〔樋口〕伝左衛門(でんえもん)の手くばりで、銕三郎は後家になったばかりのお芙沙と夜をともにしたことがあった。14歳の初体験で、思い出もよかったので、阿記を識(し)るまで、お芙沙は、少年・銕三郎の天女にもひとしかった。

参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙]

阿記が、その大いなる幻影を、消してくれた。銕三郎は、また一歩、大人の男の世界へすすんだのである。

参照】2008年1月2日[与詩(よし)を迎えに(13)]

(それにしても、手柄首とは、うまいことをいう。あれは、組み討ちの果てに得るものだというからなあ)
つまらないことに感心していると、もう、東海道だ。右へ折れると〔樋口屋〕である。

「あにうえ。よし(与詩)は、しなかったよ---しませんでした」
銕三郎の声を聞きつけ、三和土(たたき)の通路の奥から飛び出してきた与詩が自慢する。
「そうか。えらい、えらい」
(この子にとって、お寝しょうの粗相をしなかったことが、今朝の手柄首なんだ)
長谷川さま。お早うございます。与詩ちゃんは、お利口でした」
「そのようですな。いま、与詩が自慢してくれました。」
「お着物もご自分でお召しになることができました」
「それは重畳。自慢できることを、一つずつ増やしてやることが、拙の勤めです」
「お膳が、いま、ひとつ、でございます」
「うーん。それは、この齢では、一朝一夕にはまいりませぬな」
「ちょうど、お昼どき---ごいっしょにいかがでございますか?」

箱膳の上の湯のみには、酒が入っていた。
「匂い消しでございますよ」
「えっ? 匂いましたか?」
「おほほほ。うそ」

芙沙が、昨夜のことを話してくれた。
一つ布団に、左にお芙沙の2歳になる子、右に与詩を寝かせたという。
「それは、伝左衛門どのに申しわけないことでした」
「いいえ。お勤(つと)めからおおっぴらに解きはなたれて、かえって喜んでいたことでしょう。女中部屋へでも夜這いをかけるほどの甲斐性があればよろしいのですが---おほほほ」
驚いたことに、夜中に2度、与詩がお芙沙の幼女を起こして、厠へ連れていったというのである。

与詩は、腹違いのすぐ下、1歳違いの妹・智津(ちづ)にもそういうことをしたであろうか。いや、していまい。智津は、姉の与詩にむかって「お寝しょっ子と言う」と怒っていたからな)
銕三郎は、となりで食事をしている与詩を見た。
首から膝へかけて大きな前かけをあててもらい、お芙沙が与えた黒漆の木匙(こさじ)で黙々と、そして、ぱらぱらとこぼしながら食べている。

_360
(柄と外側が黒漆、皿部が朱漆塗りの木製の匙。いたって軽い)

与詩。箸と匙と、どちらが好きですか?」
「さじ(匙)でしゅ---です」
「そうか。では、お芙沙おばさまにおねだりして、その匙を江戸までいただいてゆくことにしようか」
「おばちゃまではありませぬ。おふさ(芙沙)ははうえ(母上)でしゅ---です」
(よくも手なづたものだ)
「そうでした。母上でした」

芙沙は、手にしていた湯のみをおいて、
「お匙がお気に召しているようですね。同じものは、紀州侯さま、尾州侯さまがとじものをお召しあがりになる時にお用いいただくために作らせたものです。差し上げますが、〔樋口屋〕で手に入れたことは、決してお漏らしになりませんように。紀州さま、尾州さまにご無礼とおもわれかねませぬゆえ」
「あい分かりました。出所は誓って口外しませぬが、宿々での使用は---」
「塗りのない木肌の小匙もさしあげます。漆塗りのほうは、先々の本陣ではお使いにならないでいただきたいのです」
「造作(ぞうさ)をおかけします」

「あにうえ。あにうえは、まだ、よそでおやすみでしゅか---ですか」
「いろいろと用もあってな。今夜だけ---」
「こんやだけ、では、ありましぇぬ。きのうもでした」
「許せ」

_180 「おふさ(芙沙)ははうえ(母上)が、よる、さびしがっていた---おられました」
与詩ちゃんは、まあ、なんということを---」
芙沙があわてて与詩の頭をおさえ、赤くなった。
(右:栄泉『春情妓談水揚帳』より[新造])
湯のみの中のもののせいだけではなかった。 
_180_2(おんなは、幼い時から、なんとも恐ろしく勘が鋭い。それにつけても、阿記どのがいなくて助かった)
そうおもった途端に、銕三郎の顔に血がのぽってきた。
(左:栄泉『指人形秘戯物語』部分)

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079銕三郎・平蔵とおんなたち」カテゴリの記事

コメント

与詩ちゃん、おねしょうしなくてよかった。ほっと安心しました。

投稿: えむ | 2008.01.20 13:59

>えむ さん
彼女を抑圧していたものが、銕三郎と藤六、お芙沙の思いやりで、解けたのでしょうね。

投稿: ちゅうすけ | 2008.01.21 04:10

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