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2008.01.16

与詩(よし)を迎えに(27)

阿記(あき)が待っている円明寺の南隣の旅籠〔甲州屋〕は、東海道からは外れているとはいえ、甲府へ通じている街道筋に面しているので、それなりに旅客は少なくはない。
けれども、甲州側の雪解けがまだ始まっていないいまは、閑散としている。
銕三郎(てつさぶろう)が〔めうが屋〕の名を告げると、旅籠側も心得ていて、阿記の部屋へ案内してくれた。
廊下で、反対側の奥を指さし、
「お供さまの部屋は、あちらでございます」
藤六(とうろく)と都茂(とも)は、幾部屋も離れた突きあたりだった。
どうやら、食事も別々ということのようだ。

「お着きになりました」
女中が戸をあけると、こちらへ背中を向けていた阿記が、顔だけ振り向けた。

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(国貞『春情肉婦寿満』部分)

剃り落としたばかりの青眉のその表情が、銕三郎がこれまで見たこともないほど、大人の婦女(おんな)の濃艶さだったので、どきりとして、足がとまった。

「あら。早く終わりましたのね」
こともなげに言った瞬間、飛びかかるように抱きついて口を寄せてきたのは、21歳の若い婦(おんな)そのものの所作だった。

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(歌麿『笑上戸』部分)

「もしかしたら、もしかしたら、あちらにお泊りになるのかと、心が狂っておました。お戻りになって、よかった」
「ばかだな。お芙沙(ふさ)には、れっきとしたご亭主がついているのだぞ」
「でも---焼けぽっくいに---」
みなまで言わせなかった。銕三郎の唇が阿記のつづく言葉をのんでいた。

「夕餉(ゆうげ)の前に、湯になさいますか? ここは箱根とちがい、温泉湯治場ではありませんから、湯殿も狭いし、湯桶も小さくて、ごいっしょできないのですよ。つまらない」
(阿記といい、お芙沙といい、なぜ、こうも、風呂に縁があるのだろう? おかしなめぐあわせだ)
「ひとりで、ゆっくりつかってこよう」
「まあ、憎らしい。お酒もとっておきますね」

銕三郎が躰を拭いていると、阿記がはいってきた。

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ちゅうすけの釈明】なにもここで、2点の絵をならべることもなかった。ましてや、左の清満『入浴美人』が阿記、右の歌麿『入浴美人』が芙沙というつもりもなかった。ただ、芙沙項(2007.7.16)で右の絵をあてたので、阿記の入浴シーンもとおもい、探したのだが、筆者の貧弱な手持ち資料では、鳥居清満のものしか見つからなかっただけのことである。だから、どっちがどっちなどと分けないで、湯桶に浸かる江戸期のおんなとして観ていただきたい。

「なにも、ここでいうことはないのだが、お芙沙どのに、与詩(よし 6歳)をもう一日預かってもらうことにしたから、明日は一日中、ここでゆっくりできます」
「まあ、うれしい」
全裸のまま、阿記が抱きついてきた。あいかわらず、感情の発露に遠慮がない。
4日ぶりに、やわらかで重みがあり鋭敏な乳房の感触がよみがえった。
腰も擦りよせてくるから、たまったものではない。
たちまち、銕三郎のものが、膨張をはじめた。
(ここでは、いけない。寝床での刻(とき)は長いのだ)
引きはがすように、阿記の躰を放した。

酌をしながら、阿記が言う。
(てつ)さまがお発(た)ちになったあと、おおごとが起きたのです」
「おおごと---?」
夫・〔越中屋〕幸兵衛(こうべえ 25歳)が、平塚一帯を取り仕切っている顔役・〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんべえ 38歳)とともに、阿記を連れ戻しに、芦の湯村へやってきたのだという。
店先へ応対に出た阿記の父・〔めうが屋〕次右衛門(じえもん 51歳)を、勘兵衛がなんのかんのと脅し、どうしても阿記を引きとるまでは帰らないとねばる。
阿記は、離れのあの部屋へ隠れて、生きた心地もしなかった。いっそ、ここで、髪を切って頭を丸め、覚悟のほどを幸兵衛に示そいかともおもったが、今宵、銕三郎に逢うことを考えると踏みきれず、青眉だけにとどめたのだと。
客商売の店先でのことでもあり、次右衛門が困りはてているところへ、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 31歳)が仲間の若いのを5人ばかり引きつれて駆けつけて来、勘兵衛と話しあった末、その日は、とりあえず帰っていった。

あとでわかったのだが、阿記の婚礼に、花嫁側の一族の長(おさ)として出席した畑宿(はたしゅく)村の長者・めうがや畑右衛門(はたえもん 50歳)の妻・佐登(さと)が、幸兵衛の顔をおぼえていて、一癖もニ癖もありそうな面体(めんてい)の男(勘兵衛)といっしょに、芦の湯道へ折れたので、おかしいと夫に告げ、たまたま通りかかった権七へ頼んだのだという。

権七どのに借りができたな」
「借りは、父がなんとか---」
「いや。そういう意味ではありません。ああいう、裏道で生きている人たちにも、あの人たちなりのしきたり、掟てがあって、表の世界の常識をもちこんでは、かえって混乱の元になるのです。これは、権七どのにまかせましょう」
「それより、困ったことになったとおもっております」
「なにか---?」
「あと数日で、鎌倉の縁切り尼寺・東慶寺さんへ向かわなければなりません。そのとき、平塚を通ります。〔馬入〕の勘兵衛が、やすやすと通してくれますかどうか---」
権七どのには、明晩、逢えるはずだから、相談をもちかけてみよう」
「え、あさっての朝ではないのですか?」
「それが、そうではなくなった。権七どのの情けを受けている婦女(ひと)が、この三島宿で居酒屋をやっているらしいのです」


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