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2010.03.24

平蔵宣以の初出仕(5)

登城し、黒書院の廊下で、同朋(どうぼう 茶坊主)に、同じ書院番第3の組の番士・長野佐左衛門孝祖(たかのり 28歳 600俵)にわたすようにと、結び文を託した。

佐左衛門孝祖は、6年前iに初見(はつおめみえ)をした仲で、同年齢で禄高も近いので、以後もずつと親しくしてきた。

参照】2009年5月17日[銕三郎の盟友・浅野大学長貞] () (

結び文には、弁当をいっしょにしたいから、五ッ(正午)に控えの間にこれるか? と書いた。

すぐに、返書が届けられた。
小粒(2朱銀 2万円)を手ばやく包み、そっと握らせる。

「承知」とのみ、書かれてあった。
余計なことはやりたがらない性格なのである。

並んで弁当をひろげると、先刻の茶坊主が、香りの高い湯茶を淹れてき、うやうやしく礼をした。
銕(てつ)。包んだな」
後ろ姿を見送りながら、長野孝祖が声をひそめて笑った。
「これからのこともあるからな」
「いくら握らせたのだ?」
「小粒」
「多すぎる。くせになるぞ」

食後の茶で口をしめらせ、並んで厠(かわや)で用をたしながら、互いにつぶやき声で、
「頼みは、ゆうべ、佐左(さざ)の家に五ッ半までいたことにしてくれ」
「わかった。帰宅したら、門番などにも言いつけておく。色事か?」
平蔵は、こんどは2朱銀を2枚、佐左衛門のたもとへほうりこんだ。
「しもじもへの酒代だ」
「おれへの口止め料は、別だぞ」
「こころえている。大学ともども、招待する」

大学とは、浅野長貞(ながさだ 28歳 500石)のことで、初見の仲間であった。

「いつだ?」
「18日の夕べ」
「宿直(とのい)ではない」
大学へは、おれのほうから伝える」
「いつもの、中坂下の〔美濃屋〕だな?」
「不服か?」
「いや。の京都行きの送別会以来だな」

厠を出た2人は、なにごともなかったふうで、それぞれの執務部屋へ戻った。

師範掛・松平忠左衛門勝武(かつのぶ 25歳 500石)が待ち構えていた。
「なにか?」
伺うと、
「お廻りの足をこの西丸までお伸ばしになった相良侯田沼主殿頭意次 おきつぐ 56歳 相良藩主)が、長谷川は? とお名指しでお問いかけになられた」
「失礼いたしました。昼をつかっておりました」
「以後、昼は、お廻りがすんでからするように。それから、坊主をご用部屋へ伺わせることだ」

廻りとは、老中が正午に部屋々々の前をまわることをさす。

同朋頭が、意次の用件を訊いてきた。
16日の夕べ、平賀源内(げんない )が築地の別邸に来るそうだから、無役になって隠居をたのしんでいる本多采女紀品(のりただ 61歳 2000石)、西丸目付・佐野与八郎政親(まさちか 43歳 1100石)ともども、あそびにくるように、との誘いであった。

2朱銀が消えた。
(きょう1日で1分(4万円)がとこふっとんだ。これからは、もっとこまかいお宝を用意しておかないと勝手(家計)がもたない。権七(ごんしち)に相談してみよう)

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001長谷川平蔵 」カテゴリの記事

コメント

書院番士としての平蔵がなにを学び、どれほどの交友をつくるか、たのしみにしています。

投稿: tsuuko | 2010.03.24 09:28

>tsuuko さん
レスが遅れ、申しわけありませんでした。
この2日間、去年の秋に東京コピーライターズクラブ・ハウスで行った2時間のスピーチのテープ起こし記録の自己校正に9時間をさいて、不慣れなワードでやったもので、くたくた、気力ゼロになつていたものですから。
書院番士の勤務ぶりの史料って、おもったより少ないんで、苦労しています。

投稿: ちゅうすけ | 2010.03.26 04:01

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