銕三郎の盟友・浅野大学長貞(2)
「采地に賊とは、どういうことだ?」
銕三郎(てつさぶろう 26歳)が、親しくしている浅野大学長貞(ながさだ 25歳 500石)に訊きかえした。
浅野家の采地は、安房国の朝夷郡(あさいこおり)の東江見(現・千葉県鴨川市江見)と、平郡(たいらこおり)の本郷村(現・同県富津市本郷)である。
その江見のほうに銕三郎の手を借りたいらしい。
「いや、わが家が知行している東江見村は取れ高300石ちょっとで、うち200石ほどは川越藩のものなのだ」
「川越藩というと、3年前に直恒(なおつね 7歳=当時)が継嗣なされた武蔵入間郡(いりまこおり)の?」
「そうだ。松平(結城)侯が4年前に城下町替えなされ、さらに世継ぎなどで、小さな飛び地の郷村へまでは手がまわりきっておらず、江見の仕置はしばらく頼むと用人どのからのお声があった」
「で、賊というのは?」
「松平領から、小作人の家の若者が2人、逃亡した」
「逃亡が賊とはかぎるまい。無宿になったということであろう?」
「そのうちの一人の佐吉(さきち 18歳)というのが、幼なじみへ文(ふみ)をよこして、盗賊・〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(でんべえ 28歳)一味に加わらないかと誘ったのだ」
その誘いの文を見つけた百姓の父親が、村長(むらおさ)へ相談をもちかけ、村役人から知行主の浅野家へしらせてきた。
浅野家の形ばかりの当主である大学長貞としては、なんとか手を打ちたいが策をおもいつけず、銕三郎に出番をもとめたというしだい。
「待て。なんとかいったな、学(がく)の采地の若者が一味入りした盗賊---」
「〔真浦〕の伝兵衛」
「なんなのだ、その〔もらう〕、じゃなかった、〔もうら〕というのは?」
「わが家の采地に近い代官所支配の村の名である。真実の〔真〕、浦島の〔浦〕と書いて〔もうら〕(現・千葉県南房総市真浦)と読む」
「〔真浦〕を通り名にしている伝兵衛というのは、そこの出なんだな?」
「村役人が調べたところでは、村抜けをしたのに、伝平(でんぺえ)というのがいるそうだ」
「わかった。いま、火盗改メ方の本役は永井采女直該(なおかね 52歳 2000石 鉄砲(つつ)組の4番手組頭)どのだ}
「永井どのなら、わが屋敷から2丁とない、弓町だ」
2人の話を黙って聞きながら、黙々と料理をつまんでいた長野佐左衛門孝祖(たかのり 26歳 600石 西丸書院番士)が、箸をおいて会話に加わってきた。
【ちゅうすけ注】本郷・弓町(現・文京区本郷1丁目)
【参照】2008年11月26日[諏訪左源太頼珍(よりよし) (2)
「500年を経た樟の大樹の隣りのそばと聞いておる」
「その巨樹から4軒北だ」
「そうか。それで、だいたいの推察がついた」
合点した銕三郎が説明をはじめる。
永井組の新任の筆頭与力・佐貫(さぬき)徹次郎(45歳 120石)が、になにかの折に隠居した先の筆頭・佐々木与右衛門(53歳)と会い、組与力が5名なもので手不足で難儀しているとこぼしたらしい。
佐々木前職は、銕三郎の助けを求めるべきだとすすめた。
それで佐貫新筆頭はこの月のはじめに、顔なじみの同心・有田祐介(31歳)をよこした。
【参照】2009年1月8日~[銕三郎、三たびの駿府](1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
2009年1月21日~[銕三郎、掛川で] (1) (2) (3) (4)
有田同心は、駿府、掛川への探索以来の久闊のあいさつもそこそこに、
「いちど、役宅にお立ち寄りいただきたい」
用件を告げると、鳥が飛び立つように帰って行った。
その態度に、佐貫新筆頭の真意のようなものをくみとり、訪ねそこねていたのであった。
「安房へ出張るとなると、訪ねざるをえないな」
「火盗改メが採りあげれば、旅の費(つい)えくらいは出るかもな」
孝祖が、出仕している者らしく、出張(でば)り費用のことに触れる。
「いや。そのことなら、わが家で用意するつもりでおるから---」
浅野長貞がこころづかいを示した。
「待て待て。まだ、受けるとは言っておらぬぞ」
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