平蔵、親ばか(6)
「桑山さまが、今宵の食事代と諸掛りは、こちらにまわすようにって---」
奈々(なな 18歳)が四つ折にした紙片を示した。
平蔵(へいぞう 40歳)がひらくと、
---三番丁 桑山内匠
「桑山老、味なことをなさる」
つぶやくと、
「おまわししても、ええのかな?」
「まわせといっているんだから、まわさないでは気分を害するであろうよ。奈々が自分で持っていけ。その日の朝市で請求金額に見あう生魚を求め、板場の若いのを伴い、おろさせてこい」
桑山内規政要(まさとし 63歳 1000石)が、平蔵の意図を汲んでもよおした酒席であった。
「いつごろ---?」
「そうさな、早すぎてもおかしいし、遅くては間が抜けている---7日あとくらいか」
「あい」
「魚代は、われが払う」
亀久町の家まで、仙台堀の南土手を並んで帰った。
それがうれしいらしく、奈々は平蔵の袴の脇の平紐に指をいれ、ころげるような足運びであった。
「牧野さま、意地悪---」
招かれた客の牧野監物茂知(しげとも 32歳 役高1000石)は、本丸の徒の5の組頭であった。
「どうして、そう決めこむ---?」
「蔵(くら)さんの頼みをはぐらかした」
「いや、あれは、われの頼み方がよくなかった」
奈々がすりよった。
「違います。断るんやったら、今宵の席に来てはあかんかった」
「奈々。〔季四〕の女将は客の月旦(げったん しなさだめ)をしてはならない」
「あい」
平蔵は苦笑をもらした。
自分も同じ印象を受けていたから、口にだして、おのれをいましめたつもりであった。
手ばやく着替えた奈々が、酒の用意をととのえた。
「馬を買ったん?」
「徒(かち)の頭(かしら)は、騎上で徒士を指揮するのがきまりなんだが、屋敷が狭くて飼えない頭もいることはいる。われのところは、幸い、庭が広い」
「そうなん------」
「なにを思案している? 小椀が空だぞ」
「馬のこと、考えとった」
「馬のなにを---?」
「村にいたとき、見たん。牡馬がうしろから---胸どきどきで、息がとまった」
奈々は腰丈の閨衣(ねやい)さえ脱ぎ捨て、いまにも四つん這いになりそうな鼻息であった。
(大(だい)が、われのことを親ばか---と笑ったが、ばかという字は、馬と鹿とも書くなあ)
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