長谷川組、がえんを召し捕る
寛政3年(1791)4月21日からの『よしの冊子(ぞうし)』に、こうある。『よしの冊子』は、松平定信が老中首座となった日から、腹心・水野為永が諸方に放った隠密の報告書である。
一 長谷川組の手の者が、赤坂火消屋敷所属のがえん3人、
駿河台で2人、小川町で2人、お茶の水で2人を召し捕ら
えたよし。
いずれもがえん。赤坂の3人のうちで〔早飛〕の彦という
のは大盗賊の頭目だったとか。
隠れていた吉原から板橋へ立ちわったが、隠密廻りが廻
ってくると聞き、駕籠で立ち去ろうとしたところを召し捕ら
えられたのだと。
手下が150人ほどもいて、町方の諸々へ押し入っていた
よし。
ほかのがえんも5,60人ずつ手下を従えていたそうな。
〔 早飛〕の彦が吟味にあったとき、「手下どもはお構いく
ださるな。みな手前が、今夜は四谷へ行け、お前は浅草
へ行け、と指図していたもので、連中はろくな奴らではあり
ませぬ。
こうして私めが召し捕らえられたからには、たかが酒屋で
酒代をふみ倒すていどのことしかできますまい。うっちゃ
ってお置きなさい」と大言を吐いたそうな。
〔がえん〕とは、定火消がやとっている火消人足である。
褌(ふんどし)一つに定火消の定紋を染め出した木綿半纏(はんてん)1枚で消火にあたる輩(やから)なので気が荒く、乱暴者も少なくなく、町方からは蛇蝎(だかつ)のごとく恐れられ、嫌われてもいた。
定火消は、3000石以上の寄合格の中でも、裕福とみられる幕臣が任じられ、役宅に入った。
平蔵のころには役宅は、前記の駿河台、小川町、赤坂など、全部で10か所あった。いずれも武家屋敷の多いところである。ということは、町方の火事に出動するというより、武家屋敷への類焼を防ぐために働くことのほうが多かった。
定火消の提灯の柄
一か所の定火消の役宅は300人のがえんを常雇いし、役宅内で起居させるきまりになっていた。そのために300人扶持を幕府から給された。1人扶持は1日に玄米5合。
がえんは、口入屋から雇いいれるので、素姓の知れない者もまじっていた。〔早飛〕の彦のような大泥棒がもぐりこめたわけである。
それにしても、長谷川組は、どこから〔早飛〕の彦の情報を得たか? がえんの中に密偵をもぐりこませていたのであろう。
潜入した密偵は、長谷川平蔵のためならとそれこそ、命がけの覚悟であったといえる。
つぶやき:
『旧高旧領』では、〔早飛〕という地名は検索できなかった。
相撲の幕下に〔安早飛〕というしこ名の人がいるが、命名の由来を聞いてみたい。
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コメント
本筋から外れてしまいますが。
お相撲さんの安早飛(あさひ)
夏場所は西序二段114枚目で5勝2敗でした。
安治川部屋、高知県南国市出身、19歳です。
安治川部屋の力士の四股名にはみな上が「安」の字が
付いてます。
命名の由来はわかりませんが、将来安早飛が
人気力士に出世したら、きっとわかりますね。
投稿: みやこのお豊 | 2006.06.03 08:57
〔早飛〕の彦のほうは、(はやとび)と読むのだろうと観じています。
お相撲のほうは(あさひ)ですか。
投稿: ちゅうすけ | 2006.06.09 10:30