リーダーの指針
火盗改メの長谷川平蔵組が捕らえた3巨盗は、『鬼平犯科帳』に[妖盗葵小僧」として書かれているレイプ魔・葵小僧、関東から福島あたりまで荒らしまわった真刀(しんとう)徳次郎、江戸で神出鬼没の盗みを重ねた大松五郎につきる。
中でも知能犯は大松だ。数十人の配下を何組かに編成、一晩のうちに計画的な時間差襲撃をやった。すなわち一組が日暮れて間もなく深川・佐賀町(江東区)の商店へ押し入る。まだ起きている家人をしばりあげた賊は、盗み装束の背中の松葉を見せて大松一味と確認させる。
届けを受けた火盗改メが深川へ着いたころ、別の組が芝口(港区)を襲う。つづいて別の一班が駒込片町(文京区)の寺院へ押し入る…といったぐあいだ。
その不敵な盗みっぷりは、老中首座・松平定信が自分の名を分解した自伝の『宇下人言(うげのひとこと)』に、江戸市民は風の音にもおびえて眠れない夜を送っていた、とわざわざ書きのこしているほどだった。
「長谷川平蔵は寝ぼけているのか」
「賊は大松、手をこまねいて待つは平蔵、おれたちゃ末世」
と罵声(ばせい)が巷にあふれた。
そう、平蔵は、賊たちの行動パターンを記録して大松の作戦本部の所在地を推察しながら、逮捕時期をじっと待っていたのだ。
宵の口の初動と2番手の出動・引きあげに舟をつかっていることがわかった。3番手も目標に近い地点まで舟で移動している気配。
本拠は大川(隅田川)べりで、退(ひ)きあげどきには流れを利用して逃げ足を速めているから、本拠は河口の佃島……とあたりをつけた。
隅田川河口の築地の海と対岸佃島の住吉神社
(『江戸)名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
佃島は閉鎖的な漁師町だから、他所者(よそもの)が住めばたちまち近隣の視線にさらされる。そこで、佃島を望む船松町の舟着き場のあたりからの見張りが強化された。
はたして月が欠けた夜、岸辺にあらわれた10数人が幾叟もの小舟に分乗した。
「あ奴らに間ちがいない」
さらに探りがいれられた。富山の薬売りの交代引きつぎ人や料理屋の仕入れ人の助手に化けた密偵が、佃島へ潜入してそれらしい家の内情をそれとなく聞きこんだ。
長谷川組が一斉に踏みこんだのは、府内3か所で盗みが行われた翌日の五ツ半(午前9時)だった。賊たちは昨夜の戦果に満足し、酒をくらってまだ寝ていたから、捕方側には手傷を負った者がほとんどいなかった。
一件落着のあと、平蔵が探索方の与力・同心へ語ったのは、
「装束の背中に松葉なんぞを染めぬいている稚気から、素人に近
い連中の仕業とにらんだ。
それで、舟が商売で、多人数で仕事をしていてもおかしくない…
…とくれば漁師。
だが、佃島か深川の漁師町・熊井町(江東区)かで迷った」
与力・同心たちは、平蔵が大川から一貫して目を離さなかったいつものゆるがない指揮ぶりに、あらためて感心したのだった。
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