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2012.03.20

平蔵、先手組頭に栄進(4)

平蔵(へいぞう 41歳)が天明6年(1786)7月23日付けで発令された先手・弓の2番手というのは、34組の中でも火盗改メの経験が過去50年間でもっとも長い組だと書いた。

それでは過去40年遡ってリストをあげて実証してみよう。

松平帯刀忠陸(ただみち 750石)
 延享5年(1748)2月15日 徒頭ヨリ(46歳)
○寛延2年12月21日火盗改メ(47歳)
 同3年11月15日佐渡奉行(48歳)

柘植三四郎正晃(まさてる 1500石)
 寛延4年3月(1751)11日使番ヨリ(41歳)
○直チニ火盗改メ
 宝暦4年(1754)卒(44歳)

松平新八郎正継(まさつぐ 1650石)
 宝暦元年(1751)3月11日使番ヨリ(52歳)
○同年10月8日火盗改メ
 同2年3月17日免
 同4年5月18日卒(56歳)

朝倉仁左衛門景増(かげます 300石)
 宝暦4年(1754)5月28日使番ヨリ(52歳)
○同5年(1755)8月15日火盗改メ(53歳)
 同6年(1756)11月3日駿府奉行(54歳)

小笠原兵庫信用(のぶもち 2600石)
 宝暦6年(1756)11月15日ヨリ(47歳)
○同年11月17日火盗改メ
祇 同7年(1757)月23日免(52歳)
 同8年(1760)12月7日堺奉行(53歳)

平塚伊賀守為政(ためまさ 300石)
 宝暦8年(1758)12月7日小納戸頭取ヨリ(52歳)
 同13年3月11日辞(57歳)

奥田山城守忠祇ただまさ 300俵)
 宝暦13年(1763)3月13日小納戸頭取ヨリ(60歳)
 安永2年(1773) 1月11日持筒頭(70歳)

赤井越前守忠晶ただあきら 1400石)
 安永2年(1773) 1月11日小十人頭ヨリ(47歳)
○同年7月9日火盗改メ
 同3年(1774)3月20日京都町奉行(48歳) 

菅沼藤十郎定享さだゆき 2020石)
 安永3年(1774)3月20日西丸目付ヨリ(47歳)
○同日火盗改メ
 同5年(1776)12月12日奈良奉行(49歳)

土屋帯刀守直もりなお 1000石)
 安永5年(1776)12月12日ヨリ(44歳)
○同年同月14日火盗改メ
 同年同月同日長谷川太郎兵衛と組替

長谷川太郎兵衛正直(まさなお 1450石)
 安永5年(1776)12月14日土屋帯刀守直と組替(67歳)
 同7年2月2日持弓頭(69歳)

贄 壱岐守正寿まさとし 300石)
 安永7年(1778)2月28日小姓組番士ヨリ(38歳)
○同8年(1779)1月15日火盗改メ(39歳)
 天明4年(1784)7月27日堺奉行(44歳)

横田源太郎松房としふさ 1000石)
 天明4年(1784)7月27日西城目付ヨリ(41歳)
j○直チニ火盗改メ
 天明5年(1785)作事奉行(42歳)

前田半右衛門玄昌(はるまさ 1900石)
 天明4年(1784)10月14日横田松房と組替(56歳)
 同6年7月8日卒(58歳)

長谷川平蔵宣以(のぶため 400石)
 天明6年7月26日徒頭ヨリ(41歳)

ご覧のとおり、60歳代で発令された仁は、奥田忠祇を例外として一人もいない。
多くが40代で着任し、はやばやと次の職場へ栄転している。
こういう椅子をエリートの通過ポストとか飛び石チェアとかいうのではなかったか。

この椅子に座った平蔵だけが通算8年も塩漬けになったのだから、松平定信側のいじめにあったとしかいいようがないではないか。
 
(奥田山城守忠祇の例外の経緯はあらためて考察してみたい)

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