平蔵、先手組頭に栄進(3)
先手組頭は、幕臣の番方(武官系)としては、ほとんど双六(すごろく)でいうとあがりに近い。
先手組頭より上へいこうとすると、平蔵の父・宣雄が先手組頭から京都西町奉行へ転じたように、役方(文官系、行政官)の能力が求められる。
だから先手組頭のことを、「番方の爺ィの捨てどころ」などとひどいことをいうものもあった。
平蔵(へいぞう 41歳)が先手組頭を拝命したときの、先任の顔ぶれの年齢は下記のとおりであった。
41歳で登用された平蔵は、もちろん、捨てられたわけではない。
若返り策の一つとして抜擢であった。
先手・弓頭(2の組を除き9組)
市岡左大夫正峯(まさみね 82歳 1000石 11年目)
長田甚左衛門繁堯に走(しげたけ 64歳 1300石 12年目)
一色源次郎直次(なおつぐ 67歳 1000石 6年目)
押田信濃守岑勝(みねかつ 66歳 1000石 11年目)
新見豊前守正則(まさのり 59歳 700石 59歳 2年目)
堀 帯刀秀隆(ひでたか 51歳 1500石 6年目)
中山伊勢守直彰(なおあきら 71歳 500石 22年目)
山中平吉鐘俊(かねとし 66歳 1000石 12年目)
篠山吉之助光官(みつのり 72歳 500石 12年目)
平蔵を除いた弓組9名の合計年齢は588歳で、平均は64.44歳
^平蔵を加えた10名の平均は63.9歳とほんのわずか下降する。
9名の家禄をみると1500石が1名、あとはそれ以下である。
先手頭は1500石格だから、あとの8名には1500石から家禄を差し引いた足(あし)高が補われる。
もちろん平蔵もそう。
平蔵は1000石格の徒頭から1500石格となり、足高は600石から1100石格へと5割近くの昇格であった。
1石1両(=16万円換算)として500石増しだと、年額で8000万円ほどの増収であった。
この足高が先手組頭の人事停滞による高年齢化をもたらしていた。
先手・鉄砲(つつ)組(20組)
酒依清左衛門信道(のぶみち 69歳 900石 9年目)
武藤庄兵衛安徴(やすあきら 44歳 510石 2年目)
12年目)
杉浦長門守勝興(かつおき) 67歳 620石 11年目)
大久保弥三郎忠厚(ただあつ 66歳 1550石 16年目)
倉橋三左衛門久雄(ひさお 78歳 1000石 10年目)
6年目)
柴田三右衛門勝澎(かつよし 72歳 500石 5年目)
安部平吉信富(のぶとみ 57歳 1000石 11年目)
三上与九郎季良(すえかた 73歳 600石 7年目)
遠藤源五郎常住(つねずみ 70歳 1000石 21年目)
土方宇源太勝芳(かつよし 43歳 1560石 9年目)
浅井小右衛門元武(もとたけ 77歳 540石22年目)
清水権之助義永(よしなが 66歳 1000石 2年目)
松波平右衛門正英(まさひで 65歳 700石 7年目)
村上内記正儀(まさのり 70歳 1550石 12年目)
浦上近江守景邦(かげくに 58歳 600石 4年目)
河野勝左衛門通哲(みちやす 63歳 600石 2年目)
小野治郎右衛門忠喜(ただよし) 54歳 800石 4年目)
清水与膳豊春(とよはる 78歳 380石 11年目)
安藤又兵衛正長(まさなが 60歳 330俵 5年目)
田屋仙右衛門道堅(みちかた 72歳 300俵 10年目)
家禄が1500石以上の場合は持ち高勤めで、足高はつかない。
西丸・鉄砲(つつ)組(4組)
大井大和守持長(もちなが 72歳 1000石 10年目)
万年市左衛門頼意(よりもと 78歳 1000石 3年目)
柘植五郎右衛門守清(もりきよ 68歳 330石 3年目)
黒川友右衛門正香(まさか 50歳 1800石 3年目)
33名中、70歳以上が9名……27パーセント以上!
65歳で線引きすると、20名で過半数を超している。
先手組といえば戦争のときには先陣をつとめることになっているのに、その指揮官が老将で機動力は万全といえようか。
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