平蔵、初仕事(7)
街道筋から西へはずれた村道を2丁も行き、さらに枝道へそれた、前庭だけがひろい百姓家で、お江(こう 20歳)がよく通る声で、
「お芳(よし)ちゃん、来たよぉ――。わたし、お江ッ!」
その声に、庭先で餌を拾っていた放し飼いの雌鶏が3尺(1m)ばかり、つんのめるように羽をばたつかせた。
と、雄鶏が声をあげ、鶏冠(とさか)を立て、とがめるように平蔵(へいぞう 42歳)に数歩寄った。
「番犬よりはしっかりしておるらしい」
苦笑しつぶやいた平蔵へ、話の主(ぬし)の爺さんが病気躰のために卵をとるといって飼っ.たのだと、お江が受け売りを口にしたとき、奥から赤ん坊に乳をふくませたままの格好でお芳があらわれ、
「こっち……」
母屋の脇の納屋へ案内された2人の鼻を、病室特有の薬くさい匂いがついた。
半開きの雨戸の向こうに形ばかりの縁側としめきった障子がのぞける病室から洩れているらしい。
「爺ぃちゃん。ゆうべ話したお侍さんがみえたよ」
お芳の下 足脱ぎ石の手前からの呼びかけに、しわがれた声の応答かあり、
「どうぞ、おあがりください。お茶は、あとでお持ちしますで……」
寝たきりの老人がこちらへ寝返った。
細い目だけはそのままだが、福々しかった面影はほとんど消え、皺のような筋ばかりが目立つが、平蔵にはその奥に、生命力をいまだに秘めている〔墓火(はかび)〕の秀五郎(ひでごろう 70歳がらみ)であった。
「〔墓火〕のお頭(かしら)、一別以来です。お変わりなく――」
「やっぱり長谷川さまでした。あの世からのお迎えを待っておる、あっしのようなものを、わざわざ尋ねてお見えになるほどご縁が深いお武家さまといったら、長谷川さまきり、思いだしませなんだ」
区切り、区切りの、念をおすようなゆっくりした口調は、老齢になってから会得したものであろうか。
【参照】2008年3月26日[墓火(はかび)〕の秀五郎・初代] (5)
「お懐かしゅう。それにしても、お身内をみごとにお退(ひ)かせになったようで――」
「いえいえ。息子の秀九郎(ひでくろう 50がらみ)に――引きとらせたのでごぜえますが、だらしがねえ、半数以上ももてあまして去らせっちまうていたらくで――」
「お末(すえ 45歳=明和6 1769)さん――といいましたか、秀九郎どんの産みのお母ご?」
「あれとは川越で知りあったんです。あっしは、やはり手前が生まれた白幡村の畳の上で死にてえとおもいやして――人間、強がりいっておっても、やっぱり、生まれた土地の土に帰りたいもんらしゅう――いえ、お末は5年前に川越に墓をつくって葬ってやりました」
「さようでしたか――」
「ところで、長谷川さまのご用の向きは、3、4日前の浦和宿の〔大調(おおづき)屋〕の件のご吟味でございやすか?」
「いや。〔墓火〕のお頭によく似たお人がこちらで静養中ということで、懐かしくなり、たまたま〔大調(おおづき)屋〕の件もあり――」
「もったいないようなお話でごぜえます。あっしも、長谷川さまが火盗改メに就きになった噂を耳にしてからこっち、しきりに、〔鶴(たづかね)〕の忠助(ちゅうすけ 46、7歳)どんの〔盗人酒屋〕での情景が目先に浮かぶようになりやして――」
用意した紙包みを布団の端にすべりこませた平蔵に、ちらっとお江をうかがってから、
「あわだしく発ったもので、なんにも用意ができなくて――雌鶏が卵を産まなかった日の卵代にでも――」
「お志なので、黙って頂いておきます。ところで長谷川さま。ここから北へ30丁ばかりいったところに針ヶ谷(はりがや)という村があります。その里名( さとな)を通り名にして盗(おつとめ)をしている男を使っていたことがあります。色男なもので、大々年増の後家とか婆さん連中がひっかかります」
「針ヶ谷(はりがや)村の――?」
「――友蔵(ともぞう)」
「齢のころは――?」
「あっしが退く、そう、3年ばかり前が27,8――でしたから、いまは、30歳をでたところ――」、
「おぼえておこう」
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