平蔵、初仕事(6)
翌朝。
次席与力の小島与大夫(だゆう 38歳)の朝餉(あさげ)の膳を平蔵(へいぞう 42歳)の部屋へ運ばせ、共に食しながら、
「のう、小島。われはこれから昼前まで、そのほうたちとは別の探索ごとがあり、ともに動けない。きのうの続きをやりとげる〔南百(なんど)〕の駒蔵(こまぞう 36歳)と〔越生(おごせ)〕の万吉(まんきち 23歳)はのけるとして、あとの3人にどのような仕事をいいつけたものよのう?」
「はっ……」
応えたきり、与大夫は黙ってしまった。
「贄(にえ) 越前(守正寿 まさとし 38歳=安永7年1778)さまがお頭であれば、いかような手配をなされたであろうのう?」
贄 越前守正寿は、平蔵の3代前の先手・2番手の組頭で 火盗改メを5年ほど勤めた。
その永年ぶりは、江戸時代を通じて、平蔵に次いでいる。
もちろん、このときは平蔵とて、おのれが8年も塩漬けになるなどとは予見もしていないから、贄こそもっとも信任の篤かった火盗改メと尊敬していた。
【参照】2010年12月3日~[先手・弓の2番手組頭・贄(にえ)安芸守正寿] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2011年1月18日[贄(にえ)家捜し] (1) (2) (3)
「申しわけございません。贄 さまが組頭として着任されたとき、手前は29歳の末席与力で、口をきくたびに緊張して舌がうまくまわりませんでした」
「われのときには緊張しないとみえる」
「恐れいり――」
「恐れいることはない。それだけ甲羅を経たということよ」
「はっ」
「探索の基本は、聞きこみと事実に事実を重ねたほころびの発見――これの繰り返しだ。午前中、3人の者に近辺の寺をまわらせ、人別のなくなっている者たちをあぶりだす――」
「はっ」
食事を終え、身支度をととのえていると、女中が、
「お迎えが参っております――」
お江(こう 20歳)の来訪を告げた。
2年前のときのように、武家のむすめの外出を気どった薄い水色の揚げ帽子で髪を蔽っていたが、さすがにおんなだ、20歳の色気が躰じゅうからふきだしているのがうかがえた。
ゆうべ、脱ぎ場で脱がれたら、あのままですんでいたかどうか、平蔵は自信がなかった。
浦和宿をはずれて岸村へ入ると、そこは〔白幡(しらはた)〕の元締のむすめ、すれちがう村人がお江に丁寧に腰を折ってのあいさつを欠かさなかった。
「たいした人気(じんき)なんだな」
「いいえ、おやじどのへのお義理です」
「左様に心得ているだけでもえらい」
「いっしょに歩いていたお武家さまは何者と、午後のうちに10ヶ村で噂が渦巻き、明日の朝には火盗改メのお頭さまと、ご身分が割れていましょう?」
「ほう――」
「本陣の〔星野〕の者たちからですよ。口どめなさっていないでしょう?」
「そうか、ぬかったな」
「いいえ。〔白幡〕の元締どのは、箔(はく)がついて大満足です」
「箔が、のう――お江にとっても、箔がつくか?」
「どうでしょう。ついてくれるなら、虫のほうがありがたいかも――」
艶な視線を平蔵になげかけた。
西に見える富士には、白い雪の帽子が似合っていた。
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