平蔵、初仕事(5)
脱ぎ場より浴室のほうが行灯の数が多かった。
前も隠さないお江(こう 20歳)の裸身が浴室へ踏みこむと白さがより輝やいたようにおもえたので、平蔵はおもわず人差し指で唇を封じた。
手桶で湯船から汲んでざっと下腹にあびせ、左腕で平蔵の肩をつかんで裸身を支えて隣に沈み、含み笑いの唇を平蔵の耳へ寄せ、小声で、
「2年ぶりの共湯、うれしい」
ささやいたが、肌をつけないだけのこころづかいは忘れていなかった。
「脚が1寸ほども伸びたようだな」
お世辞半分なのに、すっと立ち、
「平(へい)さんも立って――比べましょ」
仕方なしに平蔵も立ったが、さすがに向いあうのははばかられ、横にならんだ。
お江が自分の股の付け根から平蔵の太ももへ見えない線を引き、
「平さんのほうが3寸(9cm)ほど脚長だけど、背丈は7寸(21cm)もちがうんだから、脚は……?」
「お江の勝ちだな」
向きあい、お互いに相手の下腹までもない湯線でたゆたっている黒鬚に、さすがに気恥ずかしくなり、同時に躰を沈めたのがまたおかしく、声をださないで笑った。
どうしようかと迷っていたふうだったお江が、脱ぎ場のほうへ視線をすえたままそっと、
「奈々(なな 20歳)さんとは、まだ――?」
「――つづいておる」
「――だろうとおもってました。元締がいいました。どんな男を選ぼうがお江の勝手だが、平さんのご出世の邪魔だけはしてはいけないって――〔音羽(おとわ)〕のからも遠まわしにいわれました」
洗うふりで湯を顔にかけ、
「でも、こうして共湯していただけて、胸のつかえがとれました。30歳になって、風呂場でのわたしたちのこの姿をおもいだしたら、きっと笑いがとまらないでしょうね」
涙声であった。
「40歳では思いだしもしなくなっているであろう」
「いいえ――明日の朝は七ッ(午前8時)にお迎えにまいります」
さっと湯船から出、躰も拭わないで浴衣を羽織り、姿を消した。
(これで終わったのなら、お江はずいぶんと大人になったものだが――)
油が尽きたか、行灯の一基がじりじりと音を発して灯を消すと、浴室にあるものの影がとたんに濃さを増したようにおもえた。
(相良侯の光明がとどかなくなったみたいだ)
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