平蔵、初仕事(8)
「…………」
急に秀五郎(ひでごろう 70歳がらみ)が、瞼(まぶた)を閉じ、黙りこんだ。
平蔵(へいぞう 42歳)が耳元へ口を寄せてささやいた。
「どうかしたか、お頭――? 躰のどこかが痛むのか?」
かすかに頭をふり、細い目でお江(こう 20歳)をさぐった。
「お江さんなら大丈夫だ。お芳(よし)どんから聴いてないのか?」
秀五郎がまた、頭をふった。
「長兵衛(ちょうべえ 50歳)元締のむすめさんだ。同じ白幡村の出だからひょっとしたら知りあいかとおもったが――」
かすかに頭を動かしたのへ、
「そうだった、早くに村を出たといっていたな」
うなずき、口の中で15歳とだけいうと、布団から細った手をだして平蔵の膝におき、
「長谷川さま。後生(ごしょう)ですから、このままここで、お末(すえ)の側へ行かせてやってくだせえ」
その手を握りかえし、
「江戸へ帰ったら、〔墓火(はかび)〕の初代・秀五郎どんは、去年の秋口にお上(かみ 家治 いえはる)公の先立ちをする形で三途(さんず)の川の瀬ぶみをしたと、留め書に添え書きしておくよ」
秀五郎が掌を返して平蔵の掌を重症人とはおもえない力でにぎりかえし、耳を貸せと手ぶりで伝え、
「煙草入れをお持ち帰りになり、中のものをお役目に使ってくだされ。せめてもの罪ほろぼし――」
枕許の印伝づくのりそれをまさぐる。
「これか――?」
印伝はおもった以上の持ち重りであった。
秀五郎がうなずいた。
糸のように細い目が笑っていたが、目尻からなみだがひと筋すじ流れていた。
「18年前に、受けとっていただけなかったのの片が、やっとつきました。大手をふってお末(すえ)の傍らへ安住できます」
「預かっておく」
秀五郎が小さくうなずいた。
なんと、細かった目が刀身の峰ほどに 硬くひらいていた。
精いっぱいに平蔵の姿を記憶にのこそうとしたのであろう。
帰り道、お江がつぶやいた。
「平さまのこと、ますます、分からなくなりました」
平蔵は腹へ納めた煙草入れが重みをましているのを右手で抑えながら、
(中身をしったら、お江はもっとたまげよう)
本陣〔星野〕で改めたら小判が50枚(800万円)入っていた。
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