天明5年(1785)12月の平蔵(7)
新橋・双葉町の田中藩の中屋敷から三ッ目通りの屋敷で戻ってみると、意外な人物が待っていた。
庭の者支配の倉地政之助満済(まずみ 46歳)であった。
梅雨が明けた赤夏のころ、茶寮〔季四〕でもてなした---といっても、酒をやらない満済のこと、あれしきの料理でもてなされたとは感じてはいまいが。
【参照】2012年1月11日~[倉地政之助満済の憂慮] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
「倉地うじ。すこしおやつれのようだが---?」
「お目ざわりでございましょう」
濃い髯の剃りあとの青々しさはいつものとおりだが、頬の肉がすこし落ちていた。
「お役目で長旅に出ておりましたゆえ---」
「よほどに貧しい土地への旅であったとみえる」
「その地の主(ぬし)がある席を贖(あがな)うために土地の者に重い費(つい)えを課しまして---」
「面白そうな話、席をあらためてからじっくりと聴かせてくだされ」
平蔵(へいぞう 40歳)導いたのは、2ッ目ノ橋北詰のしゃもリ鍋の〔五鉄〕であった。
下の追い込みは満席に近かったが、平蔵が目で合図すると、ころえた三次郎(さんじろう 36歳)は、客のいない2階に鍋を用意した。
「町人の滋養の源泉だが、武家はめったにこない」
仕込み箸でたくみに具をまぜながら、
「武家の活力がうすくなったのは、食い物のせいかもしれぬな---煮えたようじゃ。味見なされ」
しゃも肉をほうばっている満済を面白げに眺めながら、平蔵は独酌をたのしんでいた。
肴は、しゃもの肝の甘煮を落とし生卵にひたしては口にふくんでいる。
「倉地うじの肝の甘煮は、奥方用に包ませてあるが、味見をなさるか?」
仕込み箸で一片をつまみ、満済の口へ差しいれた。
味わう。、
「珍味でございます。柔らかなこの歯ごたえに、お仙(せん)もしびれましょう」
ひとわたり腹がくちくなったところで、倉地が、
「相良(さがら)侯(田沼主殿頭意次 おきつぐ 67歳)からのご伝言でございます」
箸をおいた平蔵に、
「案ずることはない。お上があられるかぎり、われらの政事はうまくいく---と」
頭を下げて聞いていた平蔵であったが、
(将軍家(いえはる 46歳)さまがいつまでもご壮健であればのことだが---)
平蔵が口にだしかねた懸念を、白飯に鍋ののこりをさらえてのっけていた満済がさりげなく、
「われら庭の者が役目で出向いたとき、最初にやりますことは、探索先の中に不満をもっている者を見つけて手なづけることです。お上のお傍らの衆の中にそのような者がいれば、反対側もそこに目をつけていましょう」
つぶやいた。
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