天明5年(1785)12月の平蔵(8)
「今宵も、ご馳走になりっぱなしで---」
〔五鉄〕特製のしゃもの肝の甘醤油煮の折詰めを片手に、挨拶をした庭の者・支配役の倉地政之助満済(まずみ 46歳)を二ッ目ノ橋下の舟着きに待たせておいた黒舟まで見送り、
「倉地さん。相良(さがら)侯にお会いになったら、非力ゆえなにもできませぬが、ご忠告、ありがとうございましたとお伝えおきください」
平蔵(へいぞう 40歳)の実感であった。
戦場での斬りあいなら、いささかの自信はあるが、いま老中・田沼意次(おきつぐ 67歳 相良藩主 5万7000石)が仕掛けられている柳営での権力闘争には、平蔵の一刀流はさして役にたたない。
倉地が乗った小舟の灯が大川のほうの闇へ消えるのを見送った平蔵は、くさめを一つして襟元をあわせ、提灯の蝋燭を消し、月あかりをたよりに竪川ぞいに東へ歩きはじめた。
先刻、「われら庭の者が役目で出向いたとき、最初にやりますことは、探索先の中に不満をもっている者を見つけて手なづけることです。お上のお傍らの衆の中にそのような者がいれば、反対側もそこに目をつけていましょう」
倉地がつぶやいた台詞に似たことを読んだ記憶がよみがえった。
遠いむかしの『孫子』であった。
23歳の銕三郎(てつさぶろう)が、父・宣雄(のぶお 50歳=当時)から渡された『武芸七書』のうちの『孫子』[用閒篇]---
閒者には、5つの用い方があり、その中の2つが---
以前からその地に住んでいる者を諜報者として取りこんだ間者を[因閒(いんかん)]という。
買収されたり、色じかけで転んだ相手国の官吏が[内閒(ないかん)]である。
【参照】2008101[『孫子 用間篇』]
(倉地は、庭の者の外様大名領の探索にことよせてつぶやいたが警告したのは、反政権側の動きとすると、2つのうちの後者だな---)
---と。
先ほどから尾行(つ)けてくるかすかな足音に気がついていた。
これにも記憶があった。
殿さま栄五郎という遣い手の盗賊との一戦であった。
場所もこのあたりだったような---。
【参照】2010年7月1日][〔殿(との)さま〕栄五郎 (2)
相手が呼びかけた。
「長谷川さま---」
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