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2006.06.07

選抜基準は容姿と態度

中村吉右衛門丈=鬼平は100話以上がビデオ化されているから、その気になればいつでも観られる。知りあいの若いレディーも全巻買いこんで就寝前の精神安定剤として観ていると。

BS系では松本幸四郎(白鸚)=鬼平も放映している。が、鬼平といえばいまでは吉右衛門丈だ。池波夫人も、
「こんご、舞台の鬼平のことは吉右衛門さんにおまかせします」と宣言されたと高瀬昌弘監督から聞いた。

Photo_14
テレフォンカード:鬼平=吉右衛門丈
となたから頂いたか忘却。ご免なさい。

監督は吉右衛門丈はもちろん、幸四郎(白鸚)、丹波哲郎、中村錦之介さんらの鬼平をずっと撮ってきた人。

自分の中にイメージした小説の「鬼平像」がこわれるからテレビは見ない、と頑張っている友人もいる。

鬼平像? うーん、史実の平蔵はどんな容姿をしていたか? もちろん写真も似顔絵ものこってはいない。が、類推する手がかりは平蔵の経歴のなかの、

安永3年(1774)
 西丸御書院番士(29歳)
同 4年(1775)
 進物番(30歳)

にひそんでいる。

進物番は、1組に50名ずついる書院番士小姓組番士のなかから1組から5名ずつ選出されるきまり。

五節や八朔などの祝日に300近い各藩が石高に応じておこなう時献上(ときけんじょう)――自国の特産物であったり刀剣や馬(実際はその太刀料や馬料としての金銭)を上納し、将軍家のほうも答礼品を下賜する、それらを「儀席に配置出納する任」と松平太郎『江戸時代制度の研究』にある。いまでいうと儀典係かしらん。

進物番にはもう一つ大事な仕事がある。城中での能楽で大夫にとらせる青染めの麻縄を通した一貫文の青緡(あおざし)を舞台の中央に井桁につみあげる。長袴をはいてのことなのでなかなかに技巧を要し、能楽の前になると出番の進物番は家でひそかに練習したものだ。

そんなこんなで人前にでることが多いから、人選にあたってはとくに容姿と態度に重きがおかれる。

つまり、平蔵は容姿も態度も人並み以上にすぐれていたわけだ。
どんな骨相の武士を容姿がいいといったか? いまの美男の基準とは違っていよう。侍だから役者顔ではなかろう。凛々(りり)しいという形容があるが、平蔵はそういう若者だっただろう。弓馬で鍛えた筋肉質の体型。まなざしや口跡(こうせき)も訓練でつくられる。

鏡をのぞく男をとやかくいう人生評論家もいるが、かつての陸軍の将校を養成する学校では1日に数回、全身がうつる大鏡の前に立って表情や姿勢を自分で矯正した。人づきあいの多い中間管理職も配慮したいところ。

いや、テレビカメラが正面からねらっているのに椅子で大股をひらいている国会議員へこそ、姿勢と態度を見習いなさいと吉右衛門丈の鬼平ビデオと大鏡と贈りたい。

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コメント

着物の紋も左藤巴!

まあ、付け紋だろうけど。

投稿: ちゅうすけ | 2006.06.07 08:34

最近はメンズ・エステというのがあります。
かっこよく変身するためばかりでなく、
自分を磨き相手に好印象を与えることで、
ビジネスツールや就職の武器として生かしている男性もいるようです。

投稿: みやこのお豊 | 2006.06.07 15:42

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