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2010.06.12

麦畑の畝(うね)

「屋敷で待っている、とのことでございました」
同朋(どうぼう 茶坊主)が、本丸の躑躅の間詰、先手・弓の7番手の組頭で、長谷川家の本家の当主の太郎兵衛正直(まさなお 67歳 1450石)からの返辞をもたらした。

「申し上げたいことがあるので、夕刻、お訪ねいたしたい」
平蔵(へいぞう 30歳)が、問い合わさせたのであった。
同朋に、用意しておいた小粒をすばやくつかませた。

本家・長谷川家の屋敷は番町でも、半蔵濠の北端に近い新道一番町に800坪ほど賜わっていた。

ちょっと下城を遅らせ、そのまま一番町へ足をはこぶ。
供は松造(まつぞう 24歳)だけをのこし、ほかは帰した。

太郎兵衛正直は、着替えて待っていた。
亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)の三回忌の法会への礼を述べた。

「いいたいことはそのことではあるまい。酒があったほうが話しやすいか?」
この大伯父は、厳格なようでも、さばけているところもあった。

「そのように深刻な事柄ではございませぬ、が、とりようによっては、深刻なことかも。で、頂戴できるのであれば遠慮はいたしませぬ」
備中)に似ず、酒好きになりおって---」
「これも、必死の調練の賜物でざいます」
「いわせておけば---」
苦笑いしながら、酒の用意をいいつけた。

「日光山ご参詣の人選はすすみましたか?」
「おおよそのところはな。(てつ)の西丸は留守番だから静かなものであろうが、本丸では、寄るとさわると、ひそひそ、選ばれそうの、洩れそうのと---お勤めそこのけじゃ」

盃をおいた平蔵が、
「上さまお成りK道筋の警備は、いまからきびしく点検がなされておると推察しております」
「そのことよ---」
往還の安全を調べる組が、いくたびにもわけて出かけていると、太郎兵衛が説明した。

「そのことでございます。道中に麦畑はどれほど---?」
「麦畑? 日光道中は水田より、麦畑のほうが多いほどじゃ」

「来年、上さまが日光へお参りになる時期---4月には、この晩秋に種をまいた麦が、刈り入れを待っておりましょう」

将軍の日光参詣は、家康の命日---4月17日をはさんで行われるのが通例であった。

なにをわかりきったことを---と太郎兵衛正直が睨(にら)んだ。

「曲者が身をひそめても、なかなかに見つけにくうございましょう」
「む---」

「この秋の播種のとき、畝づくりを、道中筋にむかって縦につくるように、いまからお触書をだしておかれれば、先達(せんだつ)の方々は、麦畑のすみずみまで、たやすく見渡せましょう」
、でかした!」
太郎兵衛が膝をうった。

この年から、日光道中ぞいの麦畑の畝は、直角になったということである。
真偽のほどは、ちゅうすけもしらない。

提案の功が認められたかして、太郎兵衛正直は、日光参詣が無事におわった安永5年(1776)の12月に、先手・弓の7番手の組頭から、駿河以来の名誉をもつ、弓の2番手(駿河組)の組頭へ組替えになった。

ちゅうすけ注】太郎兵衛は、弓の2番手の組頭に1年3ヶ月在任したうえで、番方(武官系)としての出世すごろくの上がりで4人しかいない持筒(もちつつ)の頭へ栄転した。
平蔵宣以が11年後の天明6年(1786)に任じられたのも、この、弓の2番手の組頭であった。



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001長谷川平蔵 」カテゴリの記事

コメント

さすが、アイデアマンの平蔵さん。
先手頭の太郎兵衛正直さんから提案された若年寄はびっくりしたことでしょうね。
将軍さまもご老中衆も、縦に整然と見渡せる麦畑がずっと日光までつづいているのを見て、みごと!と感じいったか、どうか。
感じいらなかったら、感性が鈍っているんです。
だれの手くばりか、平蔵さんとわかると、平蔵さん、老中衆にも認められたでしょう。

投稿: tsuko | 2010.06.12 05:36

お成り道に対して直角に畝づくりされていたことは史実なんです。
それが長谷川平蔵のアイデアなのかは不明ですが、家治が日光参詣をした安永5年(1776)なら平蔵の西丸・書院番士時代です。
その前なら48年前、吉宗の享保13年(1728)ということになります。
史料はそのことは明かしていません。

投稿: ちゅうすけ | 2010.06.12 08:32

このエピソード、おもしろいですね。ちゅうすけさまのことだから、ネタがあってのこととおもいますが、それを平蔵の機転に結びつけたところがなんとも妙です。
たしかに、実った麦畑は、将軍襲撃の暴漢たちが身をひそめる絶好の隠れ場所です。
それを縦畝に変えて予防するなんて。
恐れいりました。

投稿: 文くばり丈太 | 2010.06.13 06:06

>文くばり丈太 さん
お見すかしのとおり、タネはあります。が、出所は秘密にさせてください。
鬼平ファンなら、平蔵の機転でよろしいではないでしょうか。
いや、思いついたときには、膝を打ちました。暦で計算してみると、麦の種播きの前だったので取り込みました。

投稿: ちゅうすけ | 2010.06.13 09:13

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