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2011.07.28

天明3年(1783)の暗雲(8)

「芝・新銭座の井上立泉(りゅうせん 59歳)先生に、多紀元簡(もとやす 29歳)先生のこの薬草一覧をお見せし、お診立てと、こころすべきことをお訊きしてきてくれ」
平蔵(へいぞう 38歳)が松造(よしぞう 33歳)を走らせた。

入れかわりに、〔黒舟〕の女将から聞いたといい、〔箱根屋〕の権七(ごんしち 51歳)の女房・お須賀(すが 46歳)と一人むすめ・お(しま 19歳)が襷(たすき)と前掛け持参であらわれた。

「宿六は〔丸太橋(まるたばし)〕の元締代を誘い、いっしょにくるそうです」
「ありがたい。お(くら 63歳)婆さんを助けて、握り飯を多いめにこしらえておいてもらおうか」
は、前の藤ノ棚のときからひきつづいて家事手伝いをしていた。

見馴れない若年増が大き目の荷物をもって訪れてきた。
(せん)と名、24歳と齢を告げ、多紀家の躋寿館(せいじゅかん)で看護人の資格を得てい、安長元簡若頭取のいいつけで、泊りこみで病人の世話を看(み)るように命じられたと来意を明かした。

荷物の中には、当人の仕事着や着替えのほかに尿瓶(しびん)と湯たんぽも包まれているのを見、平蔵は病状が軽くないと察せざるをえなかった。

「おどのは、独り身か?」
泊りこみで看護をするというのだから、所帯もちではあるまいとはおもったが、いちおう、たしかめた。

「はい。離別いたしました」
「余計なことを訊いた。許されよ。よろしくたのむ」

は、さっそくに里貴の耳元へ口をよせ、便意の加減を訊き、ふとんの中へ尿瓶(しびん)をさしいれ、もごもごと具合をととのえ、用をたさせた。
(これは気がつかなかった。しかし、さすがに手なれたものだ。里貴もこころ強かろう)

感じいり、っさんこと元簡の気づかいに感謝したとたん、
「どなたか、手桶にお湯と手拭を---」
の声に、おがあわててそろえた。

手拭をしぼり、また腕をさしいれ、局所の周辺を清めた。
気のせいか、病人がかすかに微笑したように感じた。

やってきた権七と〔丸太橋〕の元締代理の雄太(ゆうた 49歳)を別室へみちびき、座敷女中たちの孤立した個人部屋がつくれるような家を急いで探していると頼んだ。

考えこんだ2人のうち、権七が、
「そういう家を建てると横十間川の東の十万坪になります。店がひけてから女があんなさびしい土地へ帰っていくのはいかがでしょう?」
「送り迎えは、黒舟に頼るとして---}
「それより、この家の裏塀を3間(5.2m)ばかり南へ動かして、新築するって案はなりませんか?」

南といえば、旗本・水野万之助忠候(ただもり 30歳 2800石)の下屋敷であった。
このあたりの幕臣の下屋敷は、地主から借り上げているものがほとんどで、金額次第では、うまく話がつくかもしれなかった。

翌日、あたり一帯の地主の材木問屋〔冬木屋〕から、雄太が諾をとった。
元飯田町坂上の水野家との交渉は、用人の桑島友之助(とものすけ 51歳)が先方の用人と年2分(8万円)でまとめた。

普請奉行の与力に、改易になって屋敷が取りこわしの家があるかどうかをたしかめた。
10年前に、鉄砲洲の家をばらし、いまの三ッ目ノ橋通りへ移して組み立てた亡夫・宣雄(のふお 46歳=当時)の知恵をおもいだしたのであった。

参照】2008年3月3日[南本所・三ッ目へ] (10


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001長谷川平蔵 」カテゴリの記事

コメント

鉄砲洲の屋敷から三ッ目の橋通りの屋敷へ転居してもう10年なんですね。
あのころの平蔵は、阿記さんとの出会いがおわり、高杉道場で励んでいました。岸井左馬之助と知り合い、終生の友を得たのでした。20年があっというまでした。
いや、ちゅうすけさんはたいへんだったとおもいます。史実と小説の矛盾をなんとかつじつまをあわせてこられたのですから。
これからも愛読します。

投稿: 文くばりの丈太 | 2011.07.28 05:05

>文くばりの丈太さん
あらためて指摘されてみると、平蔵はもう40歳の一歩手前です。
阿記との2週間にも満たない旅話になったのが2007年12月の終りですから、ブログでは3年と7ヶ月で20年を経過させたことになります。
聖典『鬼平犯科帳』の歳月は犯さないつもりですから、その領域へは1年と数ヶ月しかありません。もしかすると、今年中にそこへ行ってしまい、このプログも終りになるかも。
要注意。

投稿: ちゅうすけ | 2011.07.29 14:07

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