辰蔵のいい分
「辰蔵(たつぞう 14歳)の悩みが深まったようです」
寝所で、久栄(ひさえ 31歳)が告げた。
「下帯の汚れがひどくなったのか?」
平蔵(へいぞう 38歳)が、臀部(でんぶ)の肉(しし)置きがさらにたくましくなってきている久栄の尻を引きよせながら笑った。
「そのような笑いごとではすみそうもありませぬ。日がな、ため息ばかりついております」
「弓術の稽古には怠りなく通っておるのか?」
「そちらは、いままでにまして---」
「好きなおなごでも見つけたか」
「殿さま---」
「いつも申しきかせておるように、あれの年ごろでは、らちもない悩みごとを自らからつくりだしては、苦しがってみるものなのだ。それが青雲のしるしでもある。放っておいてやるのも親ごころだ」
「と、の、さ、ま---}
「う?」
「頂きましたものが、いつもより多く、濃かったように感じました---」
「これまでよりも、倍もいとおしいとおもっているからであろう」
「外での放射を、おひかえになっているのかと---?」
「ばかな---」
「うれ、しゅう、ござ、い、ました」
「うむ」
久栄が気づいたとおり、辰蔵は大きな悩みをかかえていた。
平蔵がいうとおり、新しい好きなおんなが見つかった。
10日ほど前、高く澄んだ秋晴れの日であった。
知行地の寺崎村の庄屋・五右衛門---ということは辰蔵の祖母・妙(たえ 58歳)の実家から、栗がたんさん送られてきた。
久栄が、辰蔵の礼法の師匠であった勘定見習・山田銀四郎善行(よしゆき 41歳 150俵)の実母於良(よし 61歳)へ裾分けをとどけさせた。
【参照】20101031~[勘定見習・山田銀四郎善行] (1) (2) (3) (4)
2011年7月15日[奈々という乙女] (7)
於良の家は、軍鶏(しゃも)なべ〔五鉄〕のあるニッ目ノ橋の南、弥勒寺の裏手であった。
栗の笊(ざる)を小脇に訪れると、於良は新しいおんな弟子に礼法を習わせていた。
その、自分よりほんのちょっと年長らしいむすめに笑みを含んだ双眸(りょうめ)で見返されたさた瞬間、辰蔵は心の臓がとまったかとおもうほどの衝撃をうけた。
黒々とした双眸、面高の瓜実(うりざね)顔もさることながら、光を透かせているような青白い肌---これまで会っことのない---天女であった。
於良が引きあわせた。
「長谷川辰蔵さまです。お父上は、西丸のご書院番士としてお勤めです」
天女が唇をほころばせ、白い歯をみせてなにか声を洩らしたが、辰蔵は聴いていず、眸(ひとみ)を見ひらき、躰をこわばらせていた。
「こなたは、お奈々(なな)さま---」
奈々は、もう一度、笑みをこぼし、それからは辰蔵を無視した。
お小夜(さよ 22歳=当時)と名乗ったおんなによって植えつけられた、辰蔵の、おんな憎しの感情が、潮が退(ひ)くように消えた。
去年の師走---辰蔵にとって13歳の最後の月。
東海道の嶋田宿のしもた屋で、お小夜によって男にされた。
その初めての体験は、
「おんなの的(まと)の柔らかく、暖かく、なめらかなことは、想像をはるかに超えてい、その瞬間、天女を抱いたまま天空へ舞いあがっているような夢ごこちであった」
であった。
【参照】2011621~[若女将お三津(みつ)] (3) (4) (5) (6)
ところが翌くる日、お小夜は、性の夜叉に変身していた。
辰蔵を、自分が快楽をむさぼるための奴隷として奉仕させた。
辰蔵の女躰へのあこがれは、微塵にこわされた。
もちろん、放射の快感はあったが、夢ごこちからはるかに遠く、自分がしていることがうとつましく、おんなが憎くなっていた。
奈々を見た瞬間、お小夜の呪縛はあとかたもなく消えた。
その夜から辰蔵は、想像の天女・奈々の裸身を抱き、放射をつづけていた。
【ちゅうすけのつぶやき】お小夜がお三津(みつ 22歳)であったことは、すでに明かした。
しかし、辰蔵はそのことをしらなかった。
もちろん平蔵も、お三津にたくらみがあったなどとは、想像すらしていない。
しかし、辰蔵のお小夜への逆恨みは、とりもなおさず、父への反抗ともいえる。
父と子の難問は、ツルゲーネフの提起よりもっと前からあった。
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