勘定見習・山田銀四郎善行(2)
《味方にしなくてもいいから、敵にまわすな》
信条の一つにしている平蔵(へいぞう 33歳)とすると、勘定方見習い・山田銀四郎善行(よしゆき 36歳 150O俵)の突然の沈黙が気になったが、初対面同様のあいだがらではあるし、予告なしの来訪であったから、察しがつかなかった。
このまま言葉を積むと、どのような失言になるやもしれないので、
「もうすぐ、そこです」
それだけであとは黙し、歩きつづけた。
陽がおちて半刻(1時間)たらずというのに、〔五鉄〕の入れこみは、ほぼ、満席に近かった。
(しゃも鍋〔五鉄〕の入れ込み図 パース:知久秀章氏 建築家)
店の小女が平蔵を認め、板場の三次郎(さんじろう 29歳)に報らせたらしい。
あらわれた三次郎に、目で2階を指した。
心得て、階段口までみちびく。
2階の広間に落ち着き、
「鍋の支度ができるまでのつなぎに、石谷(いしがや)淡路(守 清昌 きよまさ 64歳 2500石)ご奉行のお託(ことづけ)を承ります」
山田見習いは、調べてきたことを、明瞭な口調ですらすらと告げた。
(先刻のことは、どうやら、失言でなかったらしいな)
越後国蒲生郡(がもうこおり)、早出(はやで)川と杉(すぎ)川が落ちあう左手の谷あいの小里---暮坪(くれつぼ)でよいか、と念を押された。
「ほかにも、暮坪という村があるのかな」
「はい。もっと南の魚沼郡(うおぬまこおり)の長森村に、暮坪という字(あざ)がございます、こちらは、出雲崎代官所の支配地です」
「うかつであった。早出川ぞいしか考慮していなかった」
「どのようなお調べでございますか?」
三次郎と小女が七輪(しちりん)と鍋を運んできたので、平蔵は、山田見習いを、初見でいっしょであったと紹介した。
「初見でごいっしょと申されますと、たしか、浅野(大学長貞 ながさだ 32歳 500石 本丸・小姓組番士)さま、長野(佐左衛門孝祖 たかのり 33歳 600俵 西丸・書院番士)さまは、その後、お見かぎりでございます」
(まずい。山田見習いに身分違いをさとらせた)
「呑みあう口実がなくてな」
「新しいおんなができたとかなんとか、男ざかりの方々ですから、口実なんぞ、いくでもつくれましょう」
三次郎は、笑いながら鍋をつくり、
「煮えたら、どうぞ、箸をおつけになってください」
2人に酌をすると、降りていった。
山田銀四郎が沈黙したまま、鍋を見つめているので、酒をすすめがてら、
「しゃもはお嫌いか---?」
「いえ。左様なことではございませぬ。先刻の息・益蔵(ますぞう 8歳)のことでございます。じつは、脇腹の生まれで---」
銀四郎が苦しげに告白した。
正妻は長男を産んだ。
しかし、早世した。
その衝撃で、夫を受けつけない躰になった。
しかたなく、継嗣をつくるために脇腹をつくった、
軽輩にはすぎたことと思うが---と、唇を噛んだ。
「山田うじ。気になさるでない。拙も正腹の子ではない。それどころか、連れ子でござった、はっ、ははは。いまでは、連れ子をしてくれた亡父に感謝をしておる」
救われたように、山田見習いがつられて、笑った。
【参照2007年4月16日~[寛政重修諸家譜] (12)(14) (15) (16) (17) (18)
2007年5月2日[『柳営補任』の誤植]
(山田善行の個人譜)
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コメント
「味方にしなくてもいいから、敵にまわすな」
心すべき名言ですね。
なるほど、気くばりの人である平蔵さんらしい。私もご相伴につとめます。
投稿: mine | 2010.11.01 06:24
>mmine さん
武田信玄の座右の銘の一つだったようです。
『孫子』や『甲陽軍鑑』を好んだ平素のこと、たちまち、自分の処世訓としたでしょう。
お役人が敵をつくってはいけません。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.01 06:35