3両の情報操作費
長谷川平蔵が火盗改メのお頭として卓越していたのは、犯罪社会の裏面に通じていたことが第一であろう。
とはいっても、『鬼平犯科帳』に書かれているように、若いときに継子いじめにあってグレ、暗黒街に足をふみいれた体験が益していた---などというつもりはない。
じつをいうと『鬼平犯科帳』のいう、19歳前後の鬼平グレ説には異論ももっている。
銕(てつ)三郎を名のっていた平蔵が19歳のとき、本家の当主・長谷川太郎兵衛正直(55歳)は火盗改メをつとめていた。甥が博打場へ出入りしているのを、役目がら見逃がすだろうか。
ぼくの推測はこうだ。
本家の伯父の助手として情報をとるために、遊里へよく潜行していたと。遊びたいさかりの齢ごろ、銕三郎は二つ返事で引きうけた。
当時の記録に、若いときの平蔵は「大どら」だったとある。「どら」は「どら息子」の「どら」で放蕩のこと。ふつうは女遊びか道楽ぐるいをいう。
平蔵が犯罪社会に通じていたというのは、彼らの情報網を逆に利用していたふしがあるからだ。
関東東北を荒らしまわっていた神道(しんとう)小僧(新稲、進藤、真刀とも書く)と称した巨盗がいた。手下は6~700人とも。長谷川組がこの巨盗を追いつめた。
神道が行く先ざきの町や村へ平蔵の手の者がひそかに出張ってきているとのうわさを前科者を通じてまきちらしたのだ。
さすがの神道も逃げまわるのが精いっぱい。尾羽打ち枯らして大宮宿(現・埼玉県さいたま市大宮区)の村はずれのお堂にひそんでいるところを長谷川組が御用!
永い逃亡生活の果てのぼろぼろの着物をまとっている彼に、平蔵は、
「神道小僧ともうたわれたほどのお前が、そんななりで牢へ入ったのでは格好がつくまいなあ」
自腹を切った3両(『犯科帳』末期の換算は1両=20万円)で石川五右衛門が着るような派手々々金ピカの衣服を買いあたえ、犯罪者特有の虚栄心をくすぐった。
(明日にも斬首になる者に無駄な出費をなさる)
与力・同心たちは心の中で思ったが、平蔵の目論見は違う。
(このことは、ツバメが飛ぶほどの早さで獄中獄外の盗賊仲間へ広まっていくにちがいない。そうなると、捕まるなら長谷川組にと考えて自首してくる奴も出てこよう。それで節約できる捜査費用は3両の比ではあるまい)
事実このあと、逃げおうせまいとあきらめて平蔵のところへ自首してくる盗賊が多くなった。
したたかな盗賊を責める火盗改メの拷問には定評がある。悲鳴を牢外まで流して見せしめにしたほどだ。が、平蔵は、
「おれは拷問などしない。そんなことをしなくてもおれにはすらすらと白状する」
これも盗賊社会に伝わることを狙っての広言だ。聞いた罪人は、拷問されないなら長谷川組に捕まろうと思うようになる。
つぶやき:
神道(しんとう)小僧は、剣が達者だったので、真刀小僧とも呼ばれた。
常陸(ひたちの)国茨城郡(いばらきこおり)金井村に生まれ、近くの石井村(茨城県笠間市)の明神社の神職に剣術を習ったとされている。
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