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2005.05.27

〔塚原(つかはら)〕の元右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収められている[火つけ船頭]。思案橋たもとの船宿〔加賀や〕とくれば、〔鬼平〕ファンならたちまちにこの船宿で船頭をしている〔浜崎(はまざき)〕の友五郎を思いおもいうかべるはずだが、この篇の主人公は友五郎とは船頭仲間の常吉(29歳)のほう。女房おときを浪人・西村虎次郎(30がらみ)に寝取られた鬱憤ばらしに諸所へ火つけをしている。
(参照: 〔浜崎〕の友五郎の項)
(参照: 船頭・常吉の項)
(参照: 浪人盗賊・西村虎次郎の項)
西村浪人とつるんでいるのが口会人〔塚原(つかはら)〕の元右衛門である。

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年齢・容姿:50がらみ。商人風。
生国:常陸(ひたち)国鹿嶋郡(かしまこうり)塚原村(現・茨城県鹿嶋市)。
塚原は、長野県茅野市、福島県相馬郡、静岡県御殿場市、千葉県君津市のほか諸所にあるが、吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)で、以下の文章を目にして、瞬時に鹿嶋市に決めた。
「塚原 沼尾と須賀の間を、塚原という。是れは、近古天正中の剣客、鹿嶋新当流の祖、塚原卜伝の苗字の地とぞ」
池波さんに[塚原卜伝最後の旅]という短篇がある。「塚原村」を取材したにちがいない。

探索の発端:深川・黒江町の裏長屋を見張っていた密偵〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が、浪人・西村虎次郎のもとを訪ねてきた顔見知りの口会人〔塚原(つかはら)〕の元右衛門を見かけたので、おまさと彦十が尾行して、橋場の真崎稲荷裏の隠れ家をつきとめ、ひとりばたらきの盗人たちの所在がつぎからつぎへと明らかになっていった。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 女密偵おまさの項)

結末:女房を寝取られた恨みをはたすべく、常吉は西村虎次郎が盗賊であることを火盗改メへ投書。それにつづいて〔塚原〕の元右衛門も逮捕された。
常吉は死罪。西村虎次郎の悪業を知っていた女房おときは、島送り。

つぶやき:[塚原卜伝最後の旅]は、『鬼平犯科帳』シリーズの始まる7年前、1961年の『別冊小説新潮』1月号(のち、新潮文庫『上意討ち』に収録)に発表された。
73歳のト伝が、師岡一羽、松岡則方、斉藤主馬之助の高弟3人を伴って武田信玄を再訪し、下総の剣客・梶原長門を真剣による試合で殪す。
(ついでだが、『菅政友雑稿』ほかの諸書は梶原長門との果し合いの場所を武州・川越城下の松原としている)。

ト伝は、武田信玄と上杉謙信の川中島の決戦を見学。、謙信が信玄の本陣へ乗り入れて斬りつけたとき、かたわらにいて、咄嗟に謙信の馬の尻を槍で突いて危急を救った。
信玄へ別離の辞をのべたあと、ト伝は京に将軍・義輝を訪ねる。義輝は皆伝を与えた教え子であった。
「ト伝が数多く知己を得ている名流の中にあって、人間的に心をひかれるのは、武田信玄と足利将軍義輝であった」とあるのを、「信玄」を「池波」と置き換えてもいいようにおもうのは、ぼくだけだろうか。

なお、同篇は「鹿島神宮から約一里を離れた塚原村の領主、塚原土佐守にのぞまれ、ト伝がその養子になったのは、文亀ニ年(1502)の秋」と書いて、「塚原」の位置を明らかにしている。

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