〔布引(ぬのびき)〕の九右衛門
『鬼平犯科帳』文庫巻1に収められている[浅草・御厩河岸]で、密偵〔豆岩〕の岩五郎の手引きによって捕縛された一味の首領。
(参照: 〔豆岩〕の岩五郎の項)
年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:〔布引〕一味のだれかを見知っていた〔豆岩〕が、つながっている与力・佐嶋忠介へ指したとすると、2通りの類推ができる。
1は、〔豆岩〕の父親・卯三郎が加わっていた〔中尾〕の治兵衛は近江から上方がテリトリーだったという。親子して盗めをしたとすると、卯三郎に土地勘のある近江でもやったろう。そのときに助(す)けた男が〔布引〕一味に加わっていたとすると、九右衛門は滋賀県八日市市の布引丘陵から「通り名(呼び名)」をとったと。
(参照: 〔中尾〕の治兵衛の項)
1は、逮捕されたのが江戸のようだから、江戸に近い土地の出身とみると、信濃(しなの)国佐久郡(さくこうり)布引山(現・長野県小諸市近郊)。布引山について『大日本地名辞書』は「今北御牧(きたみまき 現・北佐久郡北御牧村)、川辺村(未詳)の管内にして、千曲川の崖山とす。観音堂あり。水石の奇勝を占めて、地方の名所とす」と。
「布引」とは、「布を引いたように絶え間なく引き続いていること」(小学館『古語大辞典』)
探索の発端:記されていない。
結末:佐嶋与力が「この春(寛政元年 1789)には大手柄(おおてがら)をたてたそうだな。布引(ぬのびき)の九右衛門一味をことごとく御縄(おなわ)にすることができたのも、お前の、かげながらのはたらきが大きかっさたと、先日、長谷川様も大層におよろこびだあったぞ」と、〔豆岩〕に告げている。
つぶやき:「---忠介で保(も)つ堀の帯刀」といわれていた佐嶋忠介が、長谷川組(先手・弓第2組)の前に火盗改メを勤めていた堀組(先手・弓第1組)から、長谷川組へ借りられたのは、交渉に手間どったかして、長谷川平蔵が火盗改メ・本役を拝命した天明8年(1788)10月2日から半年以上もすぎた、寛政元年初夏のことであったらしい。
もっともこの篇は、、〔中尾(なかお)〕の治兵衛の項でも記したように、文庫には収められてはいるが、『鬼平犯科帳』シリーズとして書かれたものではない。したがって上記のようなこまごましたことまでは、池波さんはまだ設計していなかったはすず。
そういう視点をもちながらこの篇を読むと、面白みが一段と深まる。
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