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2005.03.22

〔寺尾(てらお)〕の治兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻20の[寺尾の治兵衛]とタイトル名にもなっている口合人(くちあいにん)。
生業(なりわい)としては盗賊団のお頭たちへ〔ながれ盗(づと)め〕の盗人を口合(斡旋)して紹介料を受けとる口合業だが、この篇では、盗みの世界で生きてきた棹尾(とうび)を飾るべく、手持ちの〔ながれ盗め〕人の名簿の中からえ選(え)りすぐった者たちで組織し、自ら采配をふるう計画を樹てている。

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年齢・容姿:50がらみ。弥勒寺門前の茶店〔笹や〕のお熊婆ぁさんいわく。「寺尾の治兵衛という男(の)も、ちょいと、しゃぶってみたくなるような顔をしているねえ」
生国:駿河(するが)国庵原郡(いはらごおり)寺尾(てらお)村(現・静岡県庵原郡由比町寺尾)
「由比町が合併されないで現存しているかどうか、地元の鬼平ファンの方のコメントを得たい)。

探索の発端:いまは長谷川組の密偵になっている〔大滝〕の五郎蔵が、現役(いま働き)のお頭だったころに〔ながれ盗め〕人の口合(斡旋)をなんども頼んだことのある〔寺尾〕の治兵衛から、浅草寺の境内で声をかけられた。
2人はともに、〔蓑火〕の喜之助から盗人として守るべき薫陶をうけた間柄だったのである。
(参照・ 〔蓑火〕の喜之助の項)
その「〔寺尾〕の治兵衛どん」が、助(す)けてくれないかといったのは、芝・片門前町2丁目の蝋燭問屋〔橘屋〕方への押し込みだった。
鬼平に報告すると、〔ながれ盗め〕人を逮捕するいい機会だから、自分も一味に加わると、乗ってきた。

結末: 上方から助っ人をさらに12,3人ほど探してくると、 寄宿している茶店〔笹や〕を明日には発とうかという日、〔寺尾〕の治兵衛は、座敷牢を破り出るや白刃をふりかざして町中を暴れまわる旗本の狂人息子に斬殺されてしまった。

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本所・弥勒寺の門前は二ツ目の通り。中央あたり木戸柵の右手、門前茶店〔笹や〕。右隣は〔植半〕(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

留守中の資金としてわたされた50両を、〔大滝〕の五郎蔵は、島田宿で古着屋をやっている遺族へ、ひとり娘の嫁入り資金として届けるべく旅立った。治兵衛が最後のお盗めをおもいたったのも、この嫁入り資金かせぎが目的の一つでもあった。

つぶやき:鬼平が盗人の浪人に化ける話、シリーズ後半に入ってからいささか多いなあ。1,500石格の火盗改メの長官が、そうそう軽率に盗賊団に潜入していいものかと、このところ、いささか首をかしげている。

〔口合人〕は、池波さんの造語になる人材紹介人である。「口合」を小学館『日本国語大辞典』で引くと、「間に立って口をきき、保証をすること」とある。
池波さんが愛用していた昭和10年(1935)刊の平凡社『大辞典』は「中に立って口をきく人。保証人。口入れ」とある。ここからたどったとおもう「口入」は、「奉公口、又は金銭の貸借などの世話をすること。又それらを営業とする人。桂庵。周旋屋」。

池波さんが「口合人」という造語をおもいついたのは、『オール讀物』(昭和51年 1976 2月号)に発表した[尻毛の長右衛門](文庫巻14)のためである。「口合人」という造語がよほどお気に召したか、つづく『殿さま栄五郎』(同)、『浮世の顔』(同)、1号おいた『さむらい松五郎』にも、〔鷹田(たかんだ)〕の平十、音右衛門、〔赤尾(あかお)〕の清兵衛といった「口合人」を登場させている。
(参照・ 〔赤尾〕の清兵衛の項)

「寺尾村」を『旧高旧領取調帳』で確かめると、越後・大野郡と高座郡、上州・片岡郡、上総・天羽郡、甲州・八代郡、武州・秩父郡、相州・高座郡にもあるが、〔蓑火〕の喜之助は京都など上方がおもなテリトリーであったこと、治兵衛が留守宅を島田宿においたことから、もっとも京にちかい東海道筋の駿州・庵原郡の「寺尾村」(63余石)とした。
駿河には安部郡の寺尾村(1,945余石)もあるが、家康の関係者がよく往来したはずの東海道筋であること、取れ高が少なく貧しげであることから、庵原郡を採った。

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コメント

好感の持てる口合人「寺尾」の治兵衛の生国の推理の仕方、どなたかもいっていらっしゃいましたが、ものすごいデータから論理的に選ばれているのですね。かなわない---って感じもあります。

「口合人」という目新しい言葉を池波先生がどういう手順でお見つけになったかまで教えていただきました。ほんと、ありがたい。

それにもましても、池波先生が「昭和10年刊の平凡社『大辞典』」を愛用されていたなんてこと、どうやって発見したのでしょう。

投稿: 目黒の朋子 | 2005.03.23 09:00

>目黒の朋子さん

平凡社『大辞典』のことは、たしか、エッセイで、池波さんが座右に置いていると書いていたので、古書店で、けつこうな散財となりました。

「通り名(呼び名)」の候補地は、さらに、いつかも書きました『旧高旧領』(近藤出版社)で調べています。

鬼平ファンしか価値を認めてくださらない、まあ、学問的にはまったくといっていいほど意味のないこんなリサーチに、時間と精力を浪費していいのかって反省は、つねにしています。

投稿: 西尾 忠久 | 2005.03.23 09:31

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