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2010.01.21

日本橋通南3丁目箔屋町〔福田屋〕(2)

「おや、長谷川さま。ちょうど、お屋敷へうかがおうと算段をしていたところでやす」
平蔵(へいぞう 28歳)の顔をみた[風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 41歳)---いまでは世間で、駕篭屋〔箱根屋〕の親方でとおっている、その権七が、平蔵を人気のない裏庭へみちびいた。

「なにかあったのか?」
権七が声をひそめて言うには、三河町の〔駕篭徳〕につめている加平(かへい 23歳)組が、ゆうべ、〔駕篭徳〕の舁き手たちがひそひそと交わしているうわさを小耳にはさんだからと、三河町へつめる前にここの店へよって権七へ伝えていった次第によると、茶寮〔貴志〕の女将が、若い武士を、御宿(みしゃく)稲荷脇の自宅へ連れこんだというのである。

「その若い侍(の)の名前でもわかったのかな?」
「いえ。初めて見る顔だが、女将とずいぶん親しげであったと」
「女将は、しょっちゅう、男をあげているのか?」
「ゆうべが初めてだが、あの親しげな具合では、かなり深い仲で、ただではすまなかったろうって、かなわぬ嫉妬(やきもち)半分の他愛もない噂だったそうでやす」
権七どん。駕篭屋稼業が出入の上得意の噂話をばらまいては、店の信用にかかわろうと、〔駕篭徳〕の親方に注意をしてやりなさい」
「それもそうでやす。さっそく---」

「しかし、うまくやったらしい侍(の)が、うらやましくはある」
長谷川さま。奥方さまに言いつけますぞ」
「冗談だ。あっ、はははは」
「いや、手前もうらやましくおもっとりやす。たいした別嬪の女将だそうで、だから舁き手たちが噂をしてやすんで---」
「拙の狙いは、女将の情夫(まぶ)ではないぞ。〔貴志〕を密談場所にしてなにかをたくらんでいる者たちである」
「承知しておりやす」

平蔵は、日本橋通南3丁目箔屋町の白粉問屋〔福田屋〕が[化粧(けわい)読みうり]深川板のお披露目枠を買い切りそうだから、その話をつなぐために、〔丸太橋(まるたばし)〕の源次(げんじ 58歳)の同意をえておきたいので、これから板元の権七ともどもうかがっていいか、使いをたててくれないか---というと、
「あいかわらず、お手まわしのすばやいことで---」
感心しながら、小僧を走らせた。

返事を待つあいだに、〔福田屋〕文次郎とのやりとりのおおよそを伝え、
「〔丸太橋〕の元締のところに、こわもてでない、気のきいた小頭がいるかね?」
「元締自身は鬼瓦に近いといったほうがあたっていやすが、おかみさんが器量よしで、むすめがそっちの血を引いたらしく、雄太(ゆうた 39歳)ってのを婿にむかえて一番小頭にしていやす」

「駕篭切手の支払いは間違いないか?」
雄太小頭がきちんと仕切って---」

参照】2009年4月12日~[〔風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業]  () () () (


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送られてきた週刊『池波正太郎の世界 6 鬼平犯科帳ニ』の表紙は、文庫巻6[大川の隠居]である。多くの鬼平ファンが、シリーズ1位に推している佳篇。
この巨鯉、実在していた。
池波少年が育った家の近く---竜宝寺(台東区寿1-21-1 fax03-3843-3167)の鯉塚に鎮魂碑が建立されている。
池波さんは、この鯉塚縁起に少年時代から親しんでいて、[大川の隠居]を構想したのであろう。もっとも、作家はネタばらしはしたがらない。

Photo

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参照】2007年5月8日[映画『大川の隠居』]
2005年2月24日[〔浜崎(はまざき)〕の友蔵


 

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