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2009.04.13

〔風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業

長谷川さま。お蔭をもちやして、黒船橋北詰の駕篭屋を居抜きで買うことができやした」
永代橋東詰の居酒屋〔須賀〕の亭主・権七(ごんしち 38歳)が、うれしげに銕三郎(てつさぶろう 25歳)に告げた。
明和7年(1770)年の桜花(はな)の季節である。

権七によると、蛤町といっても黒船橋ぎわは、櫓下(やぐらした)の出入り口にあたっており、縦に折れjまがって大川に流れこむ大横川をさかのぼって櫓下の岡場所へやってくる遊客をはじめ、木場の材木問屋の旦那衆など、客筋は悪くないのだという。
「よく、そのように繁盛している駕篭屋の出物がみつかったな」
銕三郎は、資金のことよりも、売り店のことを気にした。
権七は、
(末はお役人におなりの方なのに、勝手(経済)がおわかりである。末たのもしい)
ひそかにおもったが、口にも顔にもださない。
銕三郎に、追従ととられては心外だからである。

「そのことでやすが、持ち主が地元の悪(わる)どもにたかられるのが嫌になり、手放す気になったんでやす」
〔悪ども?」
「へい。なにしろ、櫓下は、悪どもの金(かね)づるでやすから---」

「それでは、権七どのも、これから手加減がむずかしかろう?」
「それがでやす、話をもってきてくれたのが、〔須賀〕の常連客の一人で、ゑ組の頭(かしら)3代目・仁吉(にきち 38歳)っつぁんでやして---地元の悪どもも一目も二目もおいてるお頭(かしら)だったもので---」
「そうか。火消しの頭の口ききでは、悪たちも手がだせないな」

旬日のうちに、土地証文、諸式と駕籠舁(か)き人足ともども、引きわたしてもらえるという。
というのも、浅草田原町(たはらまち)の質商[鳩屋〕をおそった〔釘無(くぎなし)〕の角兵衛(かくべえ 40歳)一味の逮捕に大きく貢献した用心棒のことが追い風になって、あちこちの大店(おおだな)に用心棒を雇うことが流行(はや)った。
その分、身元引き請け料で、権七のふところがうるおったというわけである。

用心棒一人の身元引き請けをするたびに4両2分(約72万円)を今助(いますけ 23歳)が確実にとどけてよこす。
5口で22両2分(約360万円)、10人だとその倍。
駕篭屋の権利料など、即金ではらっても、おつりがくる。

それでも、権七は用心深かった。
浅草・今戸一帯の香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 61歳)の小頭・今助をうごかし、深川の元締・〔丸太橋(まるたばし)〕の源次(げんじ 55歳)に、切餅ひとつ(25両)をわたして、辞をとおした。

丸太橋〕の源次は、切餅はもちろんだが、権七に、おのれにかかわりのあるの浪人の身元を引き請けてもらえることのほうを期待したフシもないではない。
権七は、ぴしゃりと返事をした。
「そっちのほうは、先手組の組頭のご嫡子、一刀流の免許持ちの長谷川の若のお眼鏡次第でやすから」

権七が駕篭屋を買いとったのも、さまざまな風評や事件の切れっぱしをかき集めては、銕三郎の耳へ入れてくれるためと察していたから、そのこころ根が、銕三郎はなによりもうれしかった。


参照】2009年4月13日[風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業] () () (http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/04/post-ac1f.html">4)

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