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2012.03.24

平蔵、先手組頭に栄進(8)

幾多の候補者の中から、先手・弓の2番手の組頭に抜擢された平蔵(へいぞう 41歳)は、先任の組頭たちを招いての初挨拶の宴とともに、若年寄一統と奥祐筆の頭(かしら)株へのお礼参りも、つつがなくすませた。

本丸の若年寄へのお礼の手土産が一風変わっていたので、ご用の間でしばらく話題になった。
それは、脇差の柄(つか)であった。

お察しのいいユーザーの方なら、
「あれだな---」
ご推察のとおり。

参照】2011年10月8日[柄(つか)巻き師・飯野吾平

平蔵が先手・弓の組頭になる前に任に就いていた西丸・徒の組頭時代、徒士だった飯野六平太(ろくへいた 32歳)が蔵元の高利の返済に困っていたのを解決してやったことに感涙した六平太の父・吾平(ごへい 57歳=当時)が内職にしていた大刀の柄巻を、お礼といって持参したことがあった。

濡れ手拭を巻いても型くずれしないのがよい柄巻きと教えてくれた。

そのときから、平蔵は武家への進物用として糸色と巻き柄(がら)を違えた脇差の柄巻きを10ヶ、頼んで作らせておいた。
10ヶの巻き柄は、片捻り、笹巻、鯨巻など、吾平にまかせた。

それを、若年寄の
酒井石見守忠休(ただよし 73歳 出羽・松山藩主 2万5000石)
酒井飛騨守忠香(ただか 72歳 越前・敦賀藩主 1万石)
加納遠江守久堅(ひさかた 66歳 伊勢・八田藩主 1万石)
太田備中守資愛(すけよし 48歳 遠江・掛川藩主 5万石)
安藤対馬守信明(のぶあき  陸奥・磐城藩主 5万石)
へ贈った。

脇差にしたのは、城中では大刀を帯びることが許されていなかったからであった。

平蔵の狙いどおり、さっそくに若手の太田資愛が変わった鯨巻きを帯びていたのをほかの若年寄が目にとめ、
「見事な柄巻きですな」
「到来もので---」
「新任の先手の組頭からの---?」
「いかにも---せっかくの芳志なので、同じ鯨巻きの大刀の柄も頼み申した」
「市中で購(あがな)う半値と聴き、われも依頼したところで---は、ははは」

平蔵を強く推してくれた西丸の若年寄・井伊兵部大輔直朗(なおあきら 40歳 越後・与板藩主 2万石)には大刀の篠巻きを届けたが、こちらものちに揃いの脇差用の柄巻きのを発注し、お歴々に帯びていただけると飯野吾作を喜ばせた。

もっとも、人のこころの機微をついた平蔵のこういうやり方は、武士にふさわしくないという噂に化けてあちこちでささやかれはした。、

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001長谷川平蔵 」カテゴリの記事

コメント

抜擢されて、なにかと、妬み半分の噂が飛んだことでしょう。
愈々、ページ・ビュー 999,000に到達しました。BS放送で「鬼平犯科帳」が放送される月曜日までには、大台に到達しそうですね。

投稿: 安池 | 2012.03.24 09:49

長らく出張していて、コメントできませんでした。その間にご入院やらご退院やらたいへんだったのですね。いま、いかがですか?
この間に平蔵さんも先手組のお頭におなりなったり。
しかし、上の方々へのお礼に刀の束(つか)とはすばらしい贈り物です。さすがアイデアマンの面目躍如。
これで火付盗賊改メのキップが約束されました。読まていただいているわれわれも一安心です。
お体にお気をつけになり、長く長く楽しませてください。

投稿: 文配りの丈太 | 2012.03.24 17:53

>安池 さん
平蔵が先手組の組頭になったとたんに、家治が病気になり、ご三家や治済や側近が情報遮断のカーテンを張り巡らせ、意次が辞任に追いやられることになります。
平蔵にとっては強力な後ろ盾を失い、しかも社会情勢は逼迫してきます。これからが一つの大きな山場です。

投稿: ちゅうすけ | 2012.03.24 18:08

>文配りの丈太 さん
ご出張だったんですね。お仕事、たいへんそう。
ブログの展開もですが、ちゅうすけの身辺もあわただしく、いそいでストーリイをすすめなければならない事態になり、いささか浮き足だっていますが、「落ち着け」と自分にいいきかせつづけています。
ただ、アクセス数が100万に到達するので、鬼平もののブログではたぶん先頭をきっているので、有終の美をと決心しています。

投稿: ちゅうすけ | 2012.03.24 18:15

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