平蔵宣以の初出仕(9)
「や、遅れましたかな」
暮れ五ッ半(午後5時)近くに顔をみせた西丸目付・佐野与八郎政親(まさちか 43歳 1100石)は、べつに遅れたわけではなかった。
田沼主殿頭意次(おきつぐ) 56歳 相良藩主)の木挽町(こびきちょう)の別邸の門前で待ちあわせしていた、無役となって閑居をたのしんでいる本多采女紀品(のりただ 61歳 2000石)と、西丸から直接にきた平蔵(へいぞう 29)歳)である。
「なんの、なんの。揃ったところで伺候いたそうかの」
本多紀品の供が門番に訪(おとない)いを告げると、手配がゆきとどいていたらしく、そのまま式台脇のいつもの出入り口へ導かれた。
ここは、田沼老中の私邸のような屋敷だから、招かれた者のほかは訪れない。
通された部屋には、すでに先客が2人いて、歓談していた。
1人はかおなじみの平賀源内(げんない 46歳)で、もう1人は顔は知っているが言葉をかけたことのない仁---西丸・小姓組の番頭格で遇され、頭取と呼れている、本郷伊勢守泰行(やすゆき 30歳 2000石)であった。
本多紀品と佐野政親は、本郷泰行と目顔であいさつを交わしあった。
「初めてごあいさつを申します。西丸・書院番士として出仕したばかりの、長谷川平蔵にございます」
口上をのべると、田沼老中が、
「これはしたり。西丸内でもう、顔なじみとおもっていたが---」
本郷伊勢守が名のる前に、2人を引きあわせた。
こういうところが、田沼らしい気遣いであった。
平蔵が、先日のお廻りのときに不在していた詫び述べると、
「なに、あちらのお年寄どのとの相談ごとのついであってな。お気になさるな」
軽くいなした。
お年寄とは、西丸・老中の板倉佐渡守勝清(かつきよ 69歳 上野・安中藩主)のことであった。
年齢のことをいっているのではない。
老中の、元の職名である。
顔ぶれが揃ったところで、酒肴の膳がはこばれてきた。
盃を干した源内が、
「ほれ。長谷川どののところの、上総(かずさ)で竹節(ちくせつ)人参の植え場を構えたご老体---」
「太作(たさく 62歳)です」
「そう。かの仁、なにか言ってきちょったかな?」
「根づいたと申してきました」
「けっこう。あとは、花が咲くのを待つばかりよ」
本郷伊勢(守)が話しかけてきた。
「相良藩の浪人を召し捕らえられたそうで---」
「もう、お耳を汚しましたか。怪我の功名でございます」
【参照】2010年3月23日[平蔵宣以の初出仕] (4)
田沼意次が口をはさんだ。
「その者のことだが、本多長門(守忠央 ただなか 相良前藩主)どののときの旧臣で、わが家臣となっておる者にたしかめたが、召し抱えるにふさわしくない人物とのことであった」
「恐れ入ります」
「銕三郎どの---いや、失言、平蔵どのか謝るのは、筋ちがいじゃ」
「はい」
(本郷伊勢守泰行の個 人譜)
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