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2010.03.27

平蔵宣以の初出仕(8)

「お目付の石谷(いしがや)さまがお呼びです」
同朋(どうぼう 茶坊主)が耳元でささやまくように告げた。
きのうの小粒(2朱銀 2万円)が効いているらしく、同輩たちに聞き取れないように気をくばっている。

(きたな)
平蔵(へいぞう 29歳)はうなずき、師範役・松平忠左衛門勝武(かつのぶ 25歳 500石)を目でさがし、そばへ寄り、小声で、
「お目付の部屋へ行って参じます」
「何か?」
「さしたることではございませぬ。ちょっと、捕り物に手をかしまして---」

西丸には、目付が6人ばかりいた。
兄事している佐野与八郎政親(まさちか 43歳 1100石)もその一人で、その職に就いて7年になる。
呼び出しをかけてきた石谷重蔵澄清(すみきよ 46歳 2500石)は、年齢も家禄も佐野政親よりも上だが、発令がことしの2月だから、後任であった。

目付の部屋の外で名乗りをあげると、まっさきに佐野政親が顔をむけ、やさしい目でうなずいた。
石谷十蔵が、年齢よりも老(ふ)けて見えるのは、目じりの皺が深いからであった。

別室へ導かれ、町奉行所から調書があげられてきての、と眠そうな口調でいった。
目付が取調べのときの口調を早くも身につけていた。

予想どおり、一昨夜の浪人者の一件の確認であった。
横で、書役(しょやく)が帳面をひろげて待っている。

先方から闇くもに斬りかかったのに間違いないなと念を押されたあと、
「五ッ半(午後9時)すぎに、何用があって大川をわたっておったのだ?」
長野の家で話しこんでいて、つい、時刻をすごしました」
「長野と申すと---?」
「長野佐左衛門です」
「長野さ左衛門---?」

(すらすらと答えてはいけない。応えを用意していたと見抜かれる)
平蔵は、わざと、半端な応え方を考案していた。
「お目付どの、長野うじは、ここの、書院番・第の3の組の番士の、佐左衛門孝祖(たかのり)うじでございます}
書役が口をはさんだ。
「おお。あの長野か---」
もっともらしく、石谷目付が合点した。
とんだ茶番劇であった。

長野の屋敷は---」
「本郷元町です」
「本郷から本所三ッ目へ帰るとすると、新大橋をわたることになる」
「さようです」

「ところで、長谷川。おぬし、剣は?」
「一刀流を少々---」
「抜きあわさなかったわけは?」
「斬っては、ことが面倒になるとおもいました」

「うむ。よく我慢した。それでこそ、お上の直臣である」
「お認めいただき、ありがというございます。ところでお目付どの。お目付どのと小川町にお屋敷のある淡路守清昌 きよまさ 60歳)さまと、どちらが伯父・甥でございましょうか?」

参照】2007年7月25日~[田沼邸] (1) () () (
2007年7月29日~[石谷備前守清昌] () () (

長谷川は、淡路)どのをご存じか?」
話題がころりと転じた。

「はい。田沼侯の別邸でお目にかかりました」
十蔵澄清は、石谷家の祖は、遠州で二階堂とか西郷を称していたが、東照宮さまに任えてからいまの石谷になった---と話し、淡路どのは石谷に改めてから五代目の6男が、わが家は次男の孫が分家をたてたと説明した。
石谷本家の五代目から数えると、淡路どのは六代目にあたり、われも六代目だら、従兄弟同士といえるとも。

「ただ、わがご先祖のほうが、ならして一人あたり2年ずつほど長生きをしたせいで、われのほうが年少となった」
石谷目付は、うれしそうに笑った。
取調べは、こうして終わった。

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コメント

またまた教わりました。
西の丸の目付は6人なんですね。
本城は10人でしたよね。書院番は本城が10組、西の丸は4組って比率からいくと、目付も4人くらいかなとおもっていました。
銕三郎の兄者格の佐野与八郎政親は西の丸の目付が長いから、そろそろ頭取かなと推測していましたが、6人なら、まだ上がいたんでしょうね。

投稿: 文くばり丈太 | 2010.03.27 05:30

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