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2007.08.04

銕三郎、脱皮(2)

翌日も、江戸は、からりと晴れた。
そういえば、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)が東海道を往復した10日間も、曇り日こそあったが、雨は降らなかった。

銕三郎は、帰着の報告にことよせて、餞別返しに、土産の妙薬「ういろう」を配ってあるくことにした。
供は、太作である。

銕三郎は、
(きのうは、父上(平蔵宣雄)にあまりにもそっけなくしすぎたかな)
いささか反省していた。ありていにいうと、三島でのお芙沙とのことがあって、父の目を見ていられなかったのだ。

「父上から、何か仰せがあったか?」
「何か---とおっしゃいますと?」
「その---三島、でのことだ」
「若さま」
太作が、はたと、足をとめた。
場所は、これから訪れる長谷川家の本家・小膳正直(ただなお)の番町の家に近い、城の西・千鳥ヶ渕の傍(はた)で、人通りが絶えている。
「----」
「殿さまは、こうおっしゃいました。そのことは、父子といえども、あからさまにしてはならぬ男の子の秘事であろう、と---」
「ふむ」
「さらに、奥方さまには内緒にしておくように、と」
「おお。ありがたい」
「したがいまして、太作は、すべてを忘れることにいたしました。若さまも、お忘れなさりませ」
「忘れがたい。忘れたくない。したが、太作の申すとおりにする」
「男と男の約束でございますぞ。すべては夢の中のこと」
「夢なら、覚めたくはないがの」
「若ッ!」
「愚痴であった。許せ」

一番町新道(現・千代田区三番町6あたり)にあった長谷川小膳(のち太郎兵衛)正直(1450余石)の本家から餞別のお礼に廻ることになったのは、
「餞別をいちばん多くはずんでくれた、納戸町の長谷川久三郎正脩(ただむろ 4070余石)どのから廻ろう」
という銕三郎の提案を、太作がぴしゃりと退け、
「家禄は違っても、ご本家はご本家でございます。いかなるときも、順をおまちがえなすってはなりませぬ」
ここでも、銕三郎は、大人への脱皮をさせられ、九段坂下から千鳥ヶ渕へやってきたのである。

西丸小十人頭の小膳は城詰中で、夫人の於左兎(さと 45歳)が土産を受け取り、
「しばらくお目にかからぬうちに、銕三郎どのは、なにやら、すっかり、大人びてまいられましたな」
お世辞とも、本音ともつかぬ口ぶりでいった。
分家の子といえども、家督する長男に対しては、於左兎といえども礼をつくす。
銕三郎は、玄関の式台だけで、早々に引き上げた。

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