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2012.06.02

平蔵、初仕事

「仕事だ。先に帰る。与惣兵衛(よそべえ)どのにはとくと謝っておいてくれ」
久栄(ひさえ 35歳)に告げ、手洗いにもでも立つふりをよそおい、そっと抜けだした。

道々、浦和の町の景色と、ちょっとした思い出を反芻していた。

もっとも近い記憶は2年前の夏、香具師(やし)の元締・〔白幡(しらはた)の長兵衛(ちょうべえ 48歳=当時)とむすめのお(こう 18歳=当時)にまつわる一件であった。

(おも、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん)どんのところでの修行を終えて浦和へ戻り、おんな元締として腕を磨いているところであろう)

参照】2012年12月25日~[松代への旅] () () () (

(われが出張(でば)れば、〔白幡)一統の手が借りられるのだが、組の者たちではそうもいくまい)

平蔵(へいぞう 42歳)は、きびしくしなければらない歳末の警備の時期に、ひそかに胸のうちで、江戸を抜けだして浦和で盗賊を追う算段をしていた。

役宅となっている三ッ目通りの屋敷へ戻ってみると、筆頭与力・(たち) 朔蔵(さくぞう 32歳)以下、数人の与力と10人をこす同心が待ちかまえていた。

浦和の事件は、中山道ぞいの仲町の酒問屋〔大調(おおつき)屋〕卯右衛門(うえもん)方へ、3日前の夜に数人の賊が押しいり、主人夫婦をはじめ店の者たちをしばりあげ、小金庫を開けさせて430両(6880万円)を奪ったという報らせにより、昨日の昼に堀 組が出向くことに決まっていた。

冬場、助役(すけやく)が任命されているときに、江戸の線引き外の大名領でない土地の事件は、本役・助役双方の組頭が相談して受け持ちをきめるしきたりであった。

ところが昨夜、浅草・馬道の白粉屋〔白椿屋〕が盗賊に押し入られたので、堀 組はそちらで手いっぱいになったため、浦和のほうは長谷川組でこなしてほしいということにしたらしい。

「よし、わかった。明朝発つから与力1人、同心2人、密偵3人を選抜しておいてくれ」
「それだけで足りましょうか?」
「賊は5,6人ということであったな。盗人宿へ踏みこむようなことにでもなったら岩槻藩から人手を借りればよい。明朝六ッ半(午前7時)に本郷追分の中山道の入り口で落ち合おう。3泊ほどの旅支度でくるように……」

「お言葉ですと、お頭もご出役くださいますので……」
筆頭が口ごもりながら訊いたのへ、
「当然だ。 のじいさんは風邪がまだ癒(いえ)ていないのであろうよ。弓の2番手の真の力を示してやる絶好の機会だ」
平蔵がけろりといってのけた。

朔蔵と例繰方同心・白石恭太郎(きょうたろう 45歳)を書見の間へ招き、
「明朝までに、まだ挙げられていない武蔵国埼玉郡(さいたまこおり)の村・川・山の名を通り名としている盗人を洗い出しておいてくれ」

参照】2009年12月11日[赤井越前守忠晶(ただあきら)] (


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