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2006.07.11

平蔵の剣の実力

『鬼平犯科帳』の中の長谷川平蔵こと……鬼平は、本所・三ッ目(墨田区菊川2丁目)へ越してきた19歳から、横川ぞいの出村町(墨田太平1丁目)の高杉銀平道場へ通い、一刀流の目録をさずかったことになっている。

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本所・出村町の法恩寺。高杉道場は左下の藁屋根の農家。
(『江戸名所図会』 塗り絵師:i西尾 忠久)

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上の絵の高杉道場のあたりを部分拡大。

そう、強い
講じている文化センター〔鬼平〕クラスで受講生へお気に入りのチャンバラ場面を問い、まっ先にあげられるのが[妖剣白梅香]の、

  身を沈めざま、背後に迫る敵を、平蔵がなぎはらった。
  敵は、ほとんど平蔵の頭上を飛び越えるようにして、この
 逆襲をかわし、二人の位置が入れかわった転瞬(てんしゅ
 ん)、声もなく激烈な斬撃を平蔵へ送りこんできた。
  刀身と刀身が噛み合い、火花が散った。

この斬り合いだ。
ほかにも枚挙にいとまがないほど推挙される。

朝日カルチャーセンターの女性受講生の一人がいうとおり、 「法は完全ではない。運用する者のサジ加減ひとつ」……だから『鬼平犯科帳』はみごとな人情劇にもなる。一方では、爽快きわまるチャンバラ劇でもある。

武家ものは、主人公に剣技の冴えがなければおもしろくない。彼が強くなければ肩入れできない。殺陣(たて)に新味がなければ読むに価いしない。

が、史実の平蔵は、小説の鬼平ほどに剣技がすぐれていたか。番方(武官)系の家柄だから剣術のみでなく、弓術馬術水練もそこそこには鍛えてはいたろう。

が、手にあまれば斬って捨てることも、まま許されていた火盗改メの長官であっても、みずからが真刀を抜いて賊と直接に対決する機会は、テレビの鬼平=中村吉右衛門丈があざやかに決めているよりうんと少なかった。

むしろ、生かしたまま逮捕、共犯者余罪を白状させるほうを重視。

そのことはおき、平蔵の同時代に松平定信側の隠密の秘密リポート『よしの冊子』は当時、武芸が秀でていた幕臣を称賛口調で記録しているが平蔵の名前はない。

そればかりか、平蔵の息・辰蔵が、若年寄による御目見(おめみえ)前の下見分では武芸を辞退し、素読講釈だけで受けていたとも記す。

父と子が同じ能力ということはないにしても、もし、平蔵の剣技がすぐれていれば、その子の辰蔵が武芸を辞退することはなかったと思う。平蔵の剣技は当時の平均的幕臣なみだったと考えてもよさそうだ。

平蔵のころには、もう、づぬけた剣技よりも、先手組頭にはすぐれたリーダーシップのほうが求められていたと考えられる。

ところで、当時の武術をいまのビジネス社会に置きかえると、外国語会話、インターネットなどのパソコン操作、自家用機操縦、きき酒、ゴルフ、囲碁…のうちのどれだろう?
意外にも、女子社員とのデュエットのカラオケだったりして。

いや、やはり、企画力やプレゼンテーションの巧みさ、意思決定の方法、財務知識や部下の評価法などの正統派スキルのほうが最重要項目だ。

つぶやき:
剣にも義理にも強くない鬼平は、お呼びではない---が、ファンの本音であることは間ちがいない。

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