山本伊予守組の失態
天災や飢饉が多いのは天明(1781~88)という元号がよくないせい、と松平定信内閣は朝廷から下賜された寛政(1789)に改めたが、盗賊による被害は一向に減らない。
プロ集団に加え、養子の口もない閉塞感から旗本の次男三男などで強盗をおこなう者まででる始末。
幕府は奉行所を通じて四ツ(夜10時)以降は無用の夜行を禁止する触れをだした。
火盗改メの本役・助役を督励するとともに、非番の先手組へは夜廻りを命じた。
鬼平ファンのあなたなら先手組頭の山本伊予守という名におぼえがあるはず。
そう、文庫巻8所載の[流星]で、暗殺団から四谷坂町の長谷川組組屋敷を警護してやるように、と若年寄・京極備前守に下命された仁。
実在の組頭で諱(いみな)は茂孫(もちざね)、家禄は1000石。『鬼平犯科帳』にもうひとり実名で記されている堀帯刀秀隆の後任として先手弓の1番手の組頭に36歳でなったほどだから、よほどにやり手だった。
屋敷は一ツ橋通り小川町。
池波さんが警護担当に、なぜ山本伊予守を当てたかは不明。というのは、山本組の組屋敷は牛込山伏町(新宿区弁天町)だ。
牛込の弓の1番手の組屋敷=赤○
四谷坂町の長谷川組組屋敷(小説)へは1.5キロほどある。
四谷坂町の隣の伊賀町には市岡組、市谷本村町に小野組(小野派一刀流の宗家)、同鍋弦町に土方組、四谷左門横町に松波組、四谷船板横町に柴田組の組屋敷があった。
四谷御門外の先手組屋敷。赤○=小説の長谷川組
緑○=ほかの組
この5組から臨時の警備組を選んだほうが距離的には理にあっていたはず……と考えたので、組頭の年齢をあたってみた。
[流星]は寛政5年(1793)の事件。
そのときの組頭の年齢を右記の順に並べると53、62、51、72、70歳。最年少の41歳で気力充溢の山本伊予がやはり正解だった。
51歳の土方宇源太だって現役ばりばり……と思うのは現代流の考え方。人生50年といわれた時代、長谷川平蔵は50歳で没した。
さて、寛政3年5月、同心を従え、若さにものをいわせた山本伊予の夜廻り記録がのこっている。
牛込山伏町の組屋敷から神田川ぞいの外堀通りを加賀っ原(千代田区外神田一丁目)あたりまで夜半から巡回したがひとりも怪しい者を見かけない。
夜明けとともに同心たちを引きあげさせたところ、同夜近所の町屋2軒へ強盗が入ったと組屋敷で留守番をしていた者が報告。
事情を伝え聞いた平蔵は、
「あの組の与力・同心は火盗改メの役料ほしさに、伊予どのの前の頭・堀帯刀どのの用人へ100両もの袖の下を贈って移ってもらっている。そんな連中ゆえ、夜廻りの時刻や順路を賊方へ洩らした者がいても不思議はない。伊予どのもいずれ手をお打ちになろう」
つぶやき:
鬼平ファンにいわせると、
「弓の1番手・堀組から与力筆頭の佐嶋忠介を長谷川組へ引き抜いたために、組の統制がガタガタになったのだよ」
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