銕三郎(てつさぶろう) 初手柄(2)
夜廻りの一行が千鳥橋を北へ渡ると、堀川町の自身番屋の町(ちょう)役人が、
「組頭(くみがしら)さま、はじめ、ご一統の皆さま。冷えます中のお見廻り、ご足労に存じます。お口よごしを用意いたしております。どうぞ、お休みになってくださいまし」
燗をした白酒の湯呑みをみんなに配った。
「これは、甘露」
「おお。躰が温まる」
「もう一杯、所望してもいいかな?」
同心も小者も、口々に礼をいっては、賞味している。
火盗改メ・助役(すけやく)のお頭・本多采女(うねめ)紀品(のりただ 49歳)も、下馬して湯呑みを手にした。
銕三郎(てつさぶろう 18歳)も、ならった。
「本多さま。お訊きしてもよろしゅうございますか?」
「む?」
「火盗改メの本(定)役と、助役の巡廻区分は、どのようにきまっているのでしょう?」
「そのことか。はっきりした区分けは、まだ、決まってはおらぬ。本役・讃岐守どのの組の筆頭与力と、わが組の筆頭与力が合議して、おおまかに内定しているだけで、な」
【ちゅうすけ注】松平太郎さん『江戸時代制度の研究』 (1) にある---
日本橋以北・以南に分けて巡邏地域の分担を定めた。
以北---神田、浜町、矢の倉、浅草、下谷、本郷、駒込、巣鴨、大塚、雑司ヶ谷、大久保とその近辺は本役の組の担当。
以南---通町筋、八丁堀、鉄砲洲、築地、芝、三田、目黒、麻布、赤坂、青山、渋谷、麹町、深川、本所、番町とその近辺は助役の組の担当。
神田橋外、一ツ橋外、昌平橋外、上野、桜田用屋敷、書替所、御厩2カ所と溜池などの定火消屋敷のあるところは定火消にまかせることとなった。
---は、この夜の巡回から2年後の安永2年11月。火盗改メの本役・横田越前守忠晶(ただあきら 37歳 先手・弓の2番手組頭 1400石)と、助役・庄田小左衛門安久(やすひさ 41歳 先手・弓の3番手組頭 2600石)が検討の上の結論を公儀へ上申、了解を取り付けたものである。
ちなみに、横田忠晶の先手・弓の第2組は、その15年後に、長谷川平蔵宣以=小説の鬼平が組頭に着任、あしかけ8年、火盗改メとして功績をあげた組である。
「さて、人ごこちがついたところで、あと一ト奮張りだ」
与力が声をかけた。
(本多組の深川巡行の順路は点々。池波さん愛用の近江屋板)
一行は、横油堀にそった岸道を、西永代町、今川町と過ぎ、仙台堀に突きあたり、向こう岸に黒々と静まっている仙台藩の蔵屋敷を見ながら左折した。
堀の水面(みずも)に、中天の半欠けの月が映ってゆれている。
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』巻1[唖の十蔵]で、小野十蔵が生まれて初めてこころと躰を通じあわせたおんな---おふさが〔野槌(のづち)〕の弥平一味に殺され、浮かんでいたのがこの堀である。
西行する。仙台堀の川口が大川へつながったところに架かっているのが、上(かみ)ノ橋。
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』巻6[のっそり医者]の萩原宗順が、襲われて、この橋の欄干を越えて大川へ逃(のが)れた。
上ノ橋を過ぎ、仙台藩の蔵屋敷の黒門を右にみながらさらに北へ行くと、清住町。ここに店を構えている藍玉問屋・〔大坂屋〕新助方の借家を借りていて病み、試合敵(がたき)の剣客・石坂(いしざか)太四郎に斬殺されたのが、同心・沢田小平次の剣の師・松尾喜兵衛先生であることを、この夜の巡視に供をした銕三郎は、予想していたかどうか。
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