平蔵、初仕事(14)
帰りの脚はみんな速かった。
浦和を六ッ半(午前7時)には発 ち、板橋までの3里半ちょっとを1刻半でとばした。
白山神社下の鶏声が 窪で平蔵(へいぞう 42歳)が、
「おのおの方とはここで別れよう。往路に祈願してさっそくにお聴きとどけいただいたので、お礼を奉納しておきたい」
それでは、われわれも――という次席与力・小島与大夫(よだゆう 39歳)に、このたびは組頭・長谷川平蔵の初仕事としての祈願であったので、
「お礼も平蔵独りでいたさねば、神さまへ失礼にあたろう」
理屈にもならないことをいい、白山前で別れた。
参詣を終え、松造(よしぞう 37歳)とだんご坂へむかいながら、
「〔三文茶亭〕でひと休みしがてら、お通(つう 20歳)のご新造ぶりでもおがませてもらおうか」
「おんなは嫁にいっても実家をわすれないと申しますから、おもいだしてくれる実家づくりをしてやらないと――
と、お粂(くめ 47歳)と話しあっております」
「よいこころがけじゃ」
お通が汲んだ茶をうまそうに飲んでいる平蔵のこんどの手柄を、松造がお通に、
「江戸を発ったときには手がかりひとつなかったのに、ひと晩あけた翌日には、賊たちを手びきをした者から押しこんだ首領の名前までさぐりだしておられたんだから、火盗改メ 組のお役人衆も密偵たちも舌をまいてござった」
「長谷川さまにかなう賊がいてたまるものですか――」
お通は平蔵の手なみの鮮やかさをわがことのように喜ぶ。
「これ松蔵。そなたは長谷川平蔵のイの一番目の配下であるぞ。なれば、このたびの事件が師走(しはす)の中旬におきたと耳にしたときに、変だと気づかないではならぬ」
「申しわけございませんでした」
「いやな、大節季の集金があつまるまで待てなかったということは、段取りのお粗末な首領の一味であること、手伝った者たちも歳が越せないほどつまっており、餅代ていどで手をかしたこと、それには仕掛けのいらない店を狙うこと、浦和の辻々をよく知っている土地育ちの者が手を貸していること、当夜は旅籠に泊まらないで辻堂あたりで夜明けを待ったこと――ぐらいはすぐおさえられる」
「はい」
「〔大調(おおづき)屋の亭主の卯右衛門をなんとみた?」
「大店(おおだな)の当主みたいにおっとりしておりましたが……」
「ああいうのを、売り店と、唐様(からよう)に書く、三代目――というのだな」
「長谷川さまのおじさま。それ、どういう意味ですか?」
「功なった大店(おおだな)の坊(ぼん)に生まれていても、三代目ともなると商売のことより芸事上手で、手習いなんかも筆跡聖人ほどに達筆だが、その字が役に立つのは、店売りますと 書くときぐらいということ」
「松(よし)とっつぁんの悪筆で、〔三文茶亭〕売りますと書いても、誰もちゃんと読めないから売れっこない」
お粂が横から口をはさんだ。
「女房の、茶々がはいれば、亭主よし――という川柳もある」
平蔵がまぜっかえした。
別の意味にとったお粂が、顔を赤らめた。
この夫婦には、いい正月がきそうだ。
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