駿府町奉行所で (4)
「あの者たちが盗賊と知れましたとき、とっさに、てまえの方から、報奨金200両で、うちの店を襲ってもらう芝居をおもいついたのでございます」
〔五条屋〕の旦那・儀兵衛(ぎへい 45歳)が、穴でもあったら入りたげな風情で告白した。
「掛川城下の〔京(みやこ)屋〕の盗難が暗示となったのですね?」
「はい。あなたさまが〔京屋〕へ再探索に行かれたと聞き、この数日は生きたこころちがいたしませんでした」
「店主どの。番頭どの。今宵、耳に入れましたことは、拙の胸の奥深くしまって、外に洩らすものではございませぬゆえ、安心してお眠りなされ。
されど、若年の拙が口をはさむのもどうかとおもいますが、お内儀のお勢(せい 40歳)どのは、香華寺の住職どのととくと相談なさり、先代の七回忌を機(しお)に、寺の門前の花屋でも買って与えるなりなんなり、とにかく〔五条屋〕からお出しになることですな。禍いの根は切ってしまわねば---。
さらに、どちらのお子を世継ぎにするかは、店主どのと番頭どのが談合され、親類衆への根回しは番頭どのに、もうひと汗かいてもらうのですな---」
来たときの不安顔とはうって変わり、晴れやかな顔で2人が帰っていったあと、銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、考えこんでいた。
芝居もどきの押し入りを200両で引きうけた〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 50すぎ)が、〔五条屋〕出入りの肥え汲み・馬走(まばせ)村の吾平(ごへえ 40歳)にまで手をまわしてまぎらわしい偽装をした企図である。
その一方では、犯行は〔荒神〕一味と宣言するように荒神松を置いて消えている。
そうか、あの者ら一味にとっては、芝居ではなかったのだ。
あくまで、仕事(おつとめ)のこころづもりであたったのだ。
だから、仕事を終えると、金谷宿に近い菊川村の盗人宿を引きはらっている。
(お竜(りょう 30歳)がいてくれたら、この筋書きが読めたものを--)
4夜5昼をともにしたお竜は、今夜は寝間にはいない。
翌朝六ッ半(午前7時)というのに、〔五条屋〕の番頭・吉蔵(よしぞう 58歳)がやってき、いろいろな配慮のお礼といい、紙包みを置いていった。
開けてみると、鼈甲に貝の象嵌で菊花をしあらった飾り櫛であった。
(これで、母上への土産ができた)
掛川の〔京(みやこ)屋〕がくれた紙包みの横に置いたとき、久栄(ひさえ 17歳)へと決めていた紙包みの手触りが重くなっていることに気がついた。
不審におもい、あらためて包みをひらくと、櫛のほかに小判が2枚入ってい、
---ご婚儀、祝着 竜。
と書いた紙片が添えられていた。
(お竜め、いつのまに? しらぬふりをしながら、妬いていたんだ)
銕三郎には、齢上のお竜のこころ遣いが身にしみた。
五ッ半(午前9時)のちょっと前、銕三郎は駿府町奉行所の表門に立つ。
予告が通じてあったらしく、すぐに通された。
矢野弥四郎(やしろう 35歳)同心と竹中功一朗(こういちろう 22歳)見習いが迎えた。
内座の間らしい部屋に案内された。
江戸からきたときより、扱いが格上げされている。
町奉行・中坊(なかのぼう 左近秀亨(ひでもち 53歳 4000石)は、筆頭与力・河原頼母(たのも 53歳)をしたがえて着座した。
銕三郎が、昨夜の宴の礼を述べると、笑顔をつくり、
「いや。多用のためごいっしょできずに残念。して、いつ、江戸へ?」
「昼すぎにもと、こころづもりをしております」
「任期も3年ほどとこころえているゆえ、帰任したら、駿河台の屋敷へあそびに参られよ」
それ以上に話すこともなく、
「矢野さまとの打ち合わせもございますれば---」
銕三郎のほうから、辞去のあいさつをした。
(こういうときのために、4000石級を満足させらる、どうでもいい話題をもっていないといけないな。たとえば、鴬の初音の聞き分け方とか、桜の花樹の種類とか---、お竜のお得意、信玄公の七分勝ちのことでもよかったかも---)
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