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2009.02.02

〔高畑(たかばたけ)〕の勘助

「10日ぶりだな。っつぁんがあらわれ次第、奥へ顔を見せるようにと、先生から言われている」
駿府から帰った翌日、久しぶりに出村町の高杉道場へ稽古にきた途端に、剣友・岸井左馬之助(そまのすけ 24歳)から伝えられた。

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(横川べり 高杉道場 法恩寺 法恩寺橋)

いまでは、銕三郎(てつさぶろう 24歳)と左馬之助は、師範代心得格と言ってよい。

「先生は、どうなさったのだ?」
「お風邪でな。居室に伏せておられる」
「鬼の霍乱(かくらん)だな」
「しっ! 聞こえるぞ」
たしかに、道場と居室とは、板戸1枚でしきられているきりであった。

首をすくめた銕三郎が、板戸の外から許しをえて、道場主・高杉銀平(ぎんぺい 64歳)の居室へ入ってみると、師は額に濡れ手拭いをのせて寝ていた。

「昨日の夕刻に戻りました。お風邪とは存じませず、お見舞いにも馳せ参じませず、申しわけありませぬでございました。お水を代えてきます」
銀平には家族がいない。
朝晩の食事だけ、近所の農家の老婦がきてつくっている。

手桶の水を新しい井戸水に入れかえ、手拭いをしぼりなおした。
「すまぬ」
「さきほど、左馬から、ご用と聞きましたが---」
「うむ。前の法恩寺のご住職に乞われてな。帰府そうそうでなんだが、頼まれてやってくれぬか?」
「何用でございましょう?」
銕三郎への頼みごとじゃ。盗賊ごとに決まっておるわ。ごほっごほごほ---」
「あっ、先生--」
師の背中をさすり、咳がおさまるのを待って、
「法恩寺に盗賊が---」
師は首をふりながら、また咳こんだ。

「風邪が感染(うつ)ってはならぬ。法恩寺へ、はよう、行け」
「はい」

道場を出て、向かいの法恩寺の脇門から入り、庫裏で案内を乞うた。

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(左:出村町の中に高杉道場 右手:法恩寺の脇門と境内
『江戸名所図会』法恩寺通り 部分 塗り絵師:ちゅうすけ)

小僧が、住職の居間へ導く。
顔見知りの住職が、頼みごとを説明した。

平河山(へいかさん)法恩寺は、日蓮宗にして花洛(からく)本圀寺の触頭(ふれがしら)、江戸三箇寺の一員である。 (略)当寺は太田大和守資高(すけたか)道灌の孫なり。

ものの本に、こう、あるほどの格式の名刹である。

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(「押上 法恩寺」 全景 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

当寺と同宗で縁の深い谷中の大東寺に、先日、盗賊が押し入り、鐘撞堂建立(こんりゅう)のために10年ごしに集めた喜捨が狙われたのである。
盗賊を捕らえたところで、盗(と)られた金は戻ってはこないであろうが、盗賊の手引きをした不埒(ふらち)者が寺内にいないかどうかを調べてほしいというのが、先方の和尚の願いであると。

「火盗改メがすることではございませぬか?」
「それがの、火盗改メは、寺社奉行の領域であるとゆうて、なかなか、腰をあげぬのじゃそうな」
「おかしゅえございます。火盗改メは、町方が容喙(ようかい)できないところでも、探索できる権限をもっておるはずでございますが---」
「理法どおりにいかないのが、この世の常でな」

やりとりがあって、銕三郎は、一応、かかわってはみるが、それには、ご住職から大東寺の和尚どのへの送り状を書いていただきたい、と頼むと、そそくさと達筆でしたためてくれた。

銕三郎は、法恩寺の住職の紹介の書状に、「いつ訪れればよろしいか」という問い合わせた文をもたせて、老僕・太作(たさく 63歳)を谷中八軒町の大東寺の日現(にちげん 44歳)和尚のところへやった。

そうしておいて、自分は永代橋際の居酒屋〔須賀〕へ足をはこんだ。
亭主として板場にこもっている〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 37歳)の顔が見たくなったのである。
「お帰りなさいませ。1ヶ月ぶりでございますね」
女将のお須賀(すが 31歳)が先に声をかける。
「1ヶ月も経ってはいないでしょう、半月ちょっと---」
「待つ身には、3日が3歳(みとせ)といいますから---」
権七どんになぐられます、はっ、はははは」

その声を聞きつけて、権七が板場からあらわれた。
仙次(ぜんじ 24歳)のやつ、お役に立ってくれましたか?」
権七も3年前まで、箱根山道の荷運び雲助の頭格をしていた。
「またまた、仙次どのにお世話をかけました。どんどん、いい若い衆になり、いまでは権七お頭のりっぱな後釜です」
「えっ、へへへ。あっしの後釜におさまるには、まだまだ---でしょうがね」

「関所の打田(うちだ 45歳)小頭が、権七お頭のことをなつかしがっておられました」
「小頭の面子(めんつ)をつぶしましたからなあ」
「それは、もう、帳消しだっていわれてましたよ」
「ありがたいことです」

参照】2008年3月23日[〔荒神〕の助太郎)] (8)

しぱらくを箱根での四方山(よもやま)を話しでつぶして、
「じつは、〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 50すぎ)一味がらみの探索だったのですよ」
「あいつ、まだ、やってやがったんで?」

ちゅうすけのことわり】谷中八軒町の大東寺の山号、および住持・日現は架空。


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