三歩、退(ひ)け、一歩出よ。(3)
「ひとりの比丘尼をめぐり、人が死にました」
銕三郎(てつさぶろう 28歳)が告白する気分になった。
老師のやわらかな眸(め)は、動かなかった。
「拙との淫行がもとでした」
「淫行---とは、ちがいまんな」
「は---?」
「おことは俗界の人。いつくしみおうただけのことや」
「------」
「夫婦(めおと)の睦みごとを淫行と禁じよったら、子がでけしまへん。歓喜の所行(しわざ)や」
「比丘尼とは、夫婦ではありませなんだ」
「還俗(げんぞく)しましたやろ?」
「する、と申しておりました」
老師が眸を湖中の弁財天の社へやり、
「あそこのご本尊は、淫らな姿態で修行者を試してはる。釈尊が比丘尼に得度しィはったんも、比丘(男僧)らの淫心を試しはったんかもな」
いいおえて、かっかかかと笑った。
老僧がいうには、、五戒とはいうが、不殺生(ふせっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)は、俗界でも悪行であるが、害を蒙った者とその縁者のほかはこだわりをもたぬ。
不妄語(ふもうご)---うぬぼれて自分を誇大にいう者は、俗界では嫌われる。
不飲酒(いんしゅ)---飲酒は俗界では禁じられてはいないし、罪の意識もない。
やっかいなのは、不邪淫(ふじゃいん)である。
淫心は、老若男女をとわず、だれのこころにもある。
こころにあっても、おいそれと実行できるものではない。
それだけに、やりえた者への妬みが大きい。
釈尊の教えをうまく汲みとって天竺(インド)国で栄えたヒンズー教では、その所行そのものを歓喜であるとしている。
仏道では戒のままなので、妬みのほうが害をなしているといっては、いいすぎになるかな---と苦笑した。
「おことの父ごどのが、元賢(げんけん 43歳)坊におだやかなんは、仏門の不邪淫を、悪法と観じていやはるためかもしれへんな」
「かたじけのうございます。いまのお言葉で、かの比丘尼も許されたと喜びましょう」
「なに、あの女性(にょしょう)は、われからわれを許しとったやろ」
(三歩、退(ひ)け、一歩出よ---は、むしろ、貞尼(ていあま)のほうが会得していたとおもいたい。退きすぎたかもしれないが---)
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