三歩、退(ひ)け、一歩出よ。(2)
「白居易の、こないな詩ィ、ご存じやろか?」
老師が低い声で楽しげiに朗唱した。
「30、40やと、五欲が牽(ひ)きよる
70、80やと、、病気の問屋や
50、60は、いいことだらけ
愛貧声利、ほどほどに手に
よたよたなんぞ、はるかに先や
貞妙尼(じょみょうに 享年25歳)と銕三郎(てつさぶろう 27歳)との逢いびきのことを、隣家のお銀(ぎん 60すぎ)婆ぁが旦那寺・西迎寺の暁達(ぎょうたつ 36歳)にしゃべったことから、2人もの人が死んだ。
銕三郎としては、お銀を許すわけにはいかない。
そうであろう、嫁入りするまで、お貞(てい)は、隣の老婆にこころをかけ、なにかと世話をやいてきていたのである。
そのお貞が、好きな男と睦んだからといって、お銀にはかかわりはないことだ。
(歌麿『洗い髪』 貞尼(ていあま)とのイメージ)
【参照】2009年10月24日[貞妙尼(じょうみょうに)の還俗(還俗)] (6)
それを、道家者ぶって---。
ただ、相手は60過ぎの婆ぁである。
仕置きするのは、なんとなく、気がとがめる。
手だてもおもいつかないまま、役宅に近い神泉苑(じんせいえん 現・上京区御池通り門前町)に老師を訪ねた。
銕三郎の表情を読んだ老師は、茶を点じながら、白居易の間適詩の断片を暗唱したのである。
「拙は、唄われている30には、まだ、達しておりませぬが---」
「ということは、五欲---とりわけ、淫欲がさかりで、真っ赤に燃えとるいうことやの。この欲はしつこうて、寿量をすぎた愚僧かて、熾火(おきび)のように、かかえとる」
「寿量と申されますと---?」
「80歳のことや」
寿量の80歳は、釈迦が入滅した年齢である。
世俗でいう傘寿(80歳の祝い)---喜寿(77歳の祝い)もこれからきているのであろう。
「ははぁ、80をおすぎになられても---」
「生きとるうちは、淫欲との戦いや。男もおんなも、比丘も、比丘尼も、な」
高僧にしてそういうことであれば、貞妙尼の淫心は、貞尼(ていあま)が打ちあけたとおり、とがめられるおよばないことにもおもいいたった。
また、僧たちの言いより、それを拒まれた憤りと嫉妬もうなずけた。
そればかりか、60すぎのお銀婆ぁの妬みの変形にもおもいがおよんだ。
すると、父・備中守宣雄(のぶお 55歳)は、どうやって淫欲を抑えこんでいるのであろうか。
白居易によれば、50、60は、淫欲をおのれでほどほどに制御できるいい時期ということか。
しかし、父の立ち居は、いかにも大儀げである。
70、80の病魔が気ぜわしく先ばしって襲ってきているのであろうか。
目の前の老師は、寿量をすぎたとおっしゃっているのに、矍鑠(かくしゃく)としておられるが---。
「(弘法)大師は、中寿(なかじゅ 40歳)までにやるべきことをすませとかな---いうて、さとしてはる。たしかにそうや、中寿からのこっちの歳月の脚の早いこと---矢のようや」
「老師。お名をおうかがいしておりませぬ」
「なんで、そんなもん、訊かはるのや。名ァなんちゅうもんは、かりそめのもんでの。死んだときの戒名も、100年もすぎてみなはれ、ご先祖さま---でいっしょくたにされよる。名ァは、あってなきにひとし。おことの目の前におるのが愚僧、そのもの---」
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