〔霰(あられ)〕の小助
『鬼平犯科帳』文庫巻9の[白い粉]で、本郷の湯島天満宮・門前の料理屋〔丸竹〕の2階座敷で相談している3人の盗賊の首領たちの1人。
〔花輪(はなわ)〕の万蔵
〔駒羽(こまはね)〕の七之助
2人のテリトリーは武州・上州から信州へかけて。
残るのは、「江戸の他では盗めはしねえ」が自慢の、
〔霰(あられ)〕の小助。
首領たちとはいえ、組織(しくみ)はいずれも小規模だった。
年齢・容姿:42歳。矮躯。13,4の子どものように小さい。
生国:大阪市住之江区安立町の安立小学校の前に霰松原の碑が立っていると『角川地名大辞典』はいう。『万葉集』の「霰打つ安良礼(あられ)松原住吉の弟日娘と見れど飽かぬかも」を記念したものであると。
あらあら松原(疎々松原)の意とも。
ほかに、霰を地名としているところは見当たらない。
探索の発端:鬼平は好物の鮎並(あいなめ)を一片、つづいて鯨骨(かぶらぼね)の吸い物を口にするや「妙な---」と箸をとめた。半年前に〔五鉄〕の三次郎が寄越した料理人・勘助(31歳)の手になるものだ。
勘助の身辺が見張られはじめた。勘助は博打にふたたび手をだしていた。
結末:さらわれた女房を返してもらおうと一ッ橋の火除地へ出かけた勘助を待っていたのは、〔霰〕の小助一味だったが、鬼平をはじめ手配りの沢田小平次と木村忠吾によって逮捕。死罪であろう。
つぶやき:女房を誘拐しておいて脅迫する筋書きは、このほか[二人五郎蔵]でも使われている。
が、読み手が共感するのは、女房をかどわかされたときの亭主の苦悩ぶりであろう。
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コメント
安良礼で、霰? すごい!
池波先生って、そういえば、「兇剣]で、『万葉集』から、
手束弓、手に取りもちて朝猟に、君は立たしぬ棚倉の野に
を引用なさっていました。
作家って、『万葉集』にまで目を通しておくんですね。
投稿: 練馬の加代子 | 2005.05.04 11:03
>練馬の加代子さん
もちろん、作家ですから、万巻の書に目を通していることは疑うべくもありません。
けれど、『万葉集』の歌を記憶しているかとなると、疑わしくも思えます。
たぶん、『都名所図会』からの引用であろう---ぐらいに、軽くかんがえて、同書『拾遺』を開いてみて、裏切られました。載っていなかったのです。
それで考えたのですが、池波さんは、かつて、この歌姫街道を歩いたことがあり、そのときにあつめたデータの一つだろうと。
『仕掛人--藤枝梅安』でも梅安と彦次郎が歌姫街道を歩きますよね。つまり、作家は、苦労して得た体験を何度でも使うということでしょうか。
投稿: ちゅうすけ | 2005.05.04 11:57
『仕掛人--藤枝梅安』は、歌姫街道へ伊賀越えで入って来たんでしたっけ。
たぶん、池波先生のコースもそうだったんだろうと推察しています。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.05.04 19:23