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2005.04.21

〔薮原(やぶはら)の伊助〕

『鬼平犯科帳』文庫巻8の所載の[流星]で、〔鹿山(かやま)〕の市之助一味の者として、いまは足を洗って舟宿の船頭をして落ち着いていた友五郎を強請、盗めを手伝わせた男、と書けば、「ああ、あ奴(やつ)」と合点する読み手も多いはず。

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(参照: 鹿山〕の市之助の項)
(参照: 〔浜崎〕の友蔵の項)

年齢・容姿:40男。小肥り。
生国:信濃(しなの)国筑摩郡(ちくまこうり)薮原村(現・長野県木曾郡木祖村薮原)
昔は「やごはら」とも呼ばれたと。旧中山道ぞい、山間(あい)の小さな宿場村。

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『木曾路六十九次の内・藪原 鳥居峠硯ノ清水』(英泉)
奈良井宿から九十九折(つづらおり)の鳥居峠を2kmほど上ると[硯の清水]。峠をくだりきると薮原宿。お六の櫛伝説で知られる。

探索の発端:友五郎が〔飯富(いいとみ)〕の勘八(62歳で畳の上で大往生した本格派)一味の小頭役をしていたときの縁をいいたて、勘八の遺児を人質にとっていることをほのめかされると、友五郎としても、、〔鹿山(かやま)〕の市之助のたくらみを手伝わざるをえなくなった。
で、友五郎が日本橋川にかかる思案橋たもとの舟宿〔加賀屋〕から消えたことから、探索の手がのびた。
友五郎の盗人時代の「通り名(呼び名)」が武州・新河岸川ぞいの〔浜崎(はまざき)〕であったこと、若いときに新河岸川の川越船頭をしていたことなどから、探索の範囲がしぼられた。

結末:福岡村の新河岸川ぞいの廃寺が浮かびあがり、川越藩の手助けもあって一斉逮捕。、〔鹿山(かやま)〕の市之助、〔薮原(やぶはら)〕の伊助ほか、死罪。友之助はとりあえず遠島。

つぶやき:〔飯富(いいとみ)〕の勘八は物語上の登場てしかないが、〔浜崎(はまざき)〕の友之助は文庫巻6[大川の隠居]で忘れがたいキャラクターぶりを発揮しているので、あれきり出番がないではもったいないおもっている読み手のこころを察した池波さんは、1年置いて、〔薮原(やぶはら)〕の伊助を伴って再登場。
たぶん、「友之助にもういちど会いたい」いった読者からの手紙が編集部へ何通もとどいたのだろう。

〔薮原〕の伊助がふられた、いわゆる交渉役は、最初はやさしく出て、それでダメなら、有無をいわせないだけの押しの強さが必要で、しかも相手を逃がしてはいけないから、容易そうだが、かなり技術を要する役柄である。伊助はよくやっている---というより、池波さんはたくみに描いている。

蛇足だが、〔梅安最中傘〕に中仙道の「薮原宿」が登場する。梅安が5人の侍に囲まれて、あわや---となる。結果は原作でお確かめを。


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コメント

友五郎こと「浜崎の友蔵」は「大川の隠居」では、みごとな棹さばきの老船頭であり、今をときめく「火盗」の長官鬼平への対抗心から、
鬼平の寝間から亡父愛用の銀煙管を盗み出し、それを知った鬼平の策略とも知らずに、勇んで返しにいったりと、頑固で一本気ながら、憎めない愛すべきキャラクターでしたのに。

「薮原の伊助」のお陰で、昔のお頭の遺児の
ためとはいえ、脅したりすかしたりの強請に
負け、みじめな晩年の友五郎の姿になってしまい私は残念に思います。

投稿: みやこのお豊 | 2005.04.21 23:24

>みやこのお豊さん

お豊さんが、晩節を汚す結果にもなった友五郎の立場に同情をお寄せになる気持ちも、よくわかります。

でもね、ご心配にはおよびません。
友五郎が〔鹿山〕一味の手伝いをさせられ、島流しにあった[流星〕は、寛政5年(1793)7月の事件、3年後の寛政8年初冬の〔火つけ船頭〕では、島帰りしています。

もっとも、寛政8年には、鬼平は元気ですが、長谷川平蔵はすでにその前年(1795)5月病没していましたけれど、ね。

投稿: ちゅうすけ | 2005.04.22 07:04

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