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2005.04.20

〔氷室(ひむろ)〕の庄七

『鬼平犯科帳』文庫巻3に入っている[艶婦の毒]で、亡父の墓参のために京都・白川三条の旅亭〔津国屋〕へ鬼平は滞在中。その長官を見張っているところを逮捕され、拷問のすえ、〔虫栗(むしくり)〕の権十郎一味であることを白状におよぷ。

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(参照: 〔虫栗〕の権十郎の項)

年齢・容姿:30男。がっしりした躰つき。
生国:尾張(おわり)国愛知郡(あいちこおり)氷室村(現・愛知県名古屋市南区氷室町)
〔氷室〕という「通り名(呼び名)」からデータベース『旧高旧領』で検索すると、
・下野国芳賀郡氷室村(現・栃木県宇都宮市氷室町)
・尾張国中島郡氷室村(現・愛知県稲沢町氷室町)
・信濃国安曇郡氷室村(現・長野県松本市桂川地区氷室)
・出雲国出雲郡氷室村(現・島根県簸川郡斐川町神氷(かんぴ))

『郵便番号簿』で検索すると、
・栃木県宇都宮市氷室町
・愛知県名古屋市南区氷室町
・愛知県稲沢町氷室町
・大阪府高槻市氷室町
・兵庫県神戸市兵庫区氷室町

頭の、〔虫栗〕の権十郎(2代目)の生国は、尾張国知多郡岩滑(やなべ)村(現・愛知県半田市岩滑地区のどこか)だった。地縁という点では、県の西北部の稲沢町よりも、名古屋市南区のほうがより近い。
江戸期の人たちは「尾張国」というだけで、遠近をとわず、同郷意識をもったものかどうか。国の北、南、あるいは西、東、もしくは分拠している藩ごとに、気質をいいたて、たがいにけなしあうことはなかったか。

探索の発端:木村忠吾と情事を終えた艶婦お豊を尾行、住いを確認して旅籠〔津国屋〕へもどってきた鬼平をうかがっていてところを、捕まった。
拷問の末、一味のことを自白。

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旅籠〔津国屋〕(『商人買物独案内』)
(参照: 女盗おたか(お豊)の項)

結末:庄七の自白で〔虫栗〕一味の盗人宿へ京都西町奉行所の一団が逮捕に向かい、あわせて絵の具屋の女房におさまっていたお豊もお縄になったが、庄七は、自白に免じて死罪をまぬがれ、遠島か。

つぶやき:血縁、地縁を最優先して探索している。出会いが容易に想像つくからである。しかし、庄七の〔氷室〕のように、同国内に同じ村名が2カ所あるときは、なやむ。
『旧高旧領』には記載のなかった愛知郡氷室は、安政年間(1854-59)に、名古屋若宮八幡社の神主・氷室長冬が尾張藩に願いで、赤塚町の商人・嘉兵衛が開発した氷室新田による地名と。道理で『旧高旧領』には載っていなかたわけだ。このことを、池波さんは知っていたろうか。

追記:奈良公園の北辺に氷室神社をみつけた。この地の出身だと京都に近い。
天理市にも同じ社号の社があるらしい。

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コメント

氷室の庄七たちが平蔵を闇討ちした「津国屋」
近くの白川沿いの道を、昨年師走も押し迫って歩いてみました。

丁度終の天神で北野天満宮は沢山の人出で
賑わい、天満宮裏の「紙庵」で忠吾がおたかと
ひっそりと情事を楽しんだような雰囲気では、ありませんでした。

千本出水の華光寺へ行き、途中池波さんの好きな店、村上開新堂や尚古堂のある寺町を
経て、三条大橋を渡り、粟田口手前の白川橋
を右へ折れて、平蔵や忠吾が歩いた跡をたどりました。

このあたりは今でも、きれいな水がサラサラと
流れる白川に沿って、風情のある道が続きます。思いがけず道端に、「明智光秀の首塚」が
ひっそりと曰くありげに建っているのをみつけ
ました。
「津国屋」はこのあたりだったのでしょうか。

投稿: みやこのお豊 | 2005.04.20 23:19

お尋ねの「氷室村」は、取り敢えず手持ちの資料で調べたところ、現在、島根県簸川郡斐川町神氷(かんぴ)のことと思います。

分県地図の資料編に神氷(氷室)の記載がありましたので…。

ここは、宍道湖の西端、出雲平野(以前は簸川平野と言っていました)の中心地帯で、山陰地方有数の穀倉地帯です。

斐川町の西隣は出雲市、北に平田市。
そして簸川郡として大社町ほか2町。
これら2市3町がこのたび合併して(新)出雲市として発足したばかりです。

が、斐川町は合併協を離脱し、単独宣言をしました。

理由は明白で、島根県でも数少な人口増加地区だからです。
その又の理由は、県営出雲空港があり、島根富士通や村田製作所という大型企業を抱えてもいますから。

投稿: 松江の野津 | 2005.04.21 03:35

>みやこのお豊さん

そういえば、昨年末、京都を探訪なさったとおっしゃっていましたね。
ふつうの観光旅行でなく、鬼平に的をしぼると、また、趣の変わった旅ができます。

ぼくも[艶婦の毒]の舞台を確かめるために、昨年初春に訪問、そのリポートを、ホームページ、

http://homepage1.nifty.com/shimizumon/

の[週刊掲示板]2004年1月分へ、載せました。

それから雑誌『極上の旅』へ寄稿して、上記サイトの[鬼平と歩く]コーナーへ転載しています。


投稿: ちゅうすけ | 2005.04.21 04:32

>野津さん

詳細なレス、助かりました。

そうなんですか、氷室村は、神氷(かんぴ村へ併合されていたため、それで調べがつかなかったのですね。これから、神氷(かんぴ)町で調べます。

それにしても、出雲は、すぐに神話にむすびつくのですね。氷室も神へ捧げる氷を貯蔵するところですし。

恥知らずな盗人のことを調べている自分が、なんだか穢れていくような---。

投稿: ちゅうすけ | 2005.04.21 04:39

鬼平が女賊を尾けたコースを読ませていただきました。

>どうしてそんな遠距離の料亭を情事の場所に選んだのかと、歩いてみて説明がつかず、「小説なんだから、ま、いいか」で詮索を打ちきった。

そう、長いんです。読んでいても他にも場所はあるんじゃないの?とか、繁華街から外れているから?とか色々考えました。頭の中で歩いても二条城を越えたあたりでへこたれそうです。結局は、「小説なんだから、ま、いいか」ですね。

投稿: 豊島のお幾 | 2005.04.21 10:01

>豊島のお幾さん

そうなんです、北野天満宮の裏手から西端にそって、紙屋川が流れています。
あのあたり、秘密めかした料亭がありそうな(じっさいにあるのかも)感じで、いかにも池波さん好みのたたずまいです。

それで、わざわざ、6キロも歩いたのかも。
歩かされた忠吾は、イライラしたでしょうね。

ただ、「人の恋路を邪魔するやつは---」といいますから、見て見ぬふりがいいのでしょう。

投稿: ちゅうすけ | 2005.04.21 10:53

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