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2005.04.22

〔名瀬(なせ)〕の宇兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収められている[墨つぼの孫八]で、タイトルにもなっている首領の〔墨斗(すみつぼ)〕とその一味13名が、2年前の寛政8年(1796)に上州・高崎城下の紙問屋〔関根円蔵〕方を襲って1200余両を奪い、2手に別れて逃走したとき、盗み金をもったほうの〔名瀬〕の宇兵衛たち8人が消えてしまった。

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(参照: 〔墨斗〕の孫八の項)

年齢・容姿:中年。容姿の記述はない。
生国:相模(さがみ)国鎌倉郡(かまくらこうり)名瀬村(現・神奈川県横浜市戸塚区名瀬)

探索の発端:本所・二ッ目の橋の近くで〔墨斗〕の孫八が密偵おまさを見かけ、夫の〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵とともに、孫八の盗めを手伝うことになった。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
その打ち合わせ場所しゃも鍋屋〔五鉄〕へ行くために、今戸の料亭〔三好屋〕で酒を飲んでいた孫八が、舟で今戸橋をくぐるのを、〔名瀬(なせ)〕の宇兵衛と3人の盗賊浪人が見つけた。
〔五鉄〕から竪川の北河岸道づたいに亀戸へ帰る孫八へ斬ってかかった浪人2人は、これも浪人姿の鬼平に追っ払われたが、逃げ帰る浪人たちの後を、〔相模〕の彦十と伊三次が尾行、竜泉寺町の隠れ家をつきとめた。
(参照: 〔朝熊〕の伊三次の項)

結末:三ノ輪・竜泉寺町の隠れ家に討ち入った火盗改メは、〔名瀬〕の宇兵衛、その妾おせきと浪人者たちを捕まえ、孫八から横取りした盗み金の使い残り500余両も発見した。盗人たちは死罪であろう。

つぶやき:〔墨斗〕の孫八は、彼の下で15年も働いていた〔名瀬〕の宇兵衛を信頼しきっていた。それなのに、宇兵衛が孫八を裏切ったのは、独立してもやっていける自信がついたからだろう。
孫八にしても18歳のとき、8年間も世話になった大工の棟梁〔大喜〕のもとを逃げだして関東諸方をさすらい、20歳のときに八王子で盗賊の首領〔影信(かげのぶ)〕の伝吉に拾われ、8年後に伝吉が病死したら、その後釜にすわって一味を束ねてきた。
宇兵衛が「そろそろ」とおもうのは、むしろ当然だったかもしれない。宇兵衛の独立願望を見抜けなかった孫八が甘かったかも。
しかし、大工にしろ、盗賊にしろ、一種の技術職であるが、技術を習得したからといって、人の上に立てるものではない。頭になるには、人使いの要諦と器量が必要。孫八でいうと、配下を信じきる度量である。それには、鬼平も魅せられていた。

『鬼平犯科帳』は、人の上に立つ者の、要諦と器量の教科書として読むこともできる。

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