〔蓑虫(みのむし)〕の久
『鬼平犯科帳』文庫巻1の第2話をかざっている[本所・桜屋敷]は、鬼平(43歳)の本格登場篇であるとともに、古いなじみの〔相模〕の彦十(50すぎ)が、約20年ぶりに鬼平と再会を果たす。
手配中の〔小川や〕梅吉がそのあたりで消えた、本所・南割下水の御家人・服部角之助の家をさくるようにいいつかった彦十は、面倒をみてやっているこそ盗の〔蓑虫(みのむし)〕の久が、服部一味から本町の呉服問屋〔近江屋〕を襲う仲間へ誘われていることを聞き出した。
(参照: 〔小川や)〕梅吉の項)
年齢・容姿:彦十が「若い者(の)」というから、30歳前後か。容姿の記述はない。
生国:彦十が「面倒をみている」というから、同郷でもあろうか。相模国(現・神奈川県)のどこか。
探索の発端:鬼平がまだ銕三郎(てつさぶろう)を名乗っていたころのマドンナ・ふさが再縁した御家人・服部角之助の家のあたりで、〔野槌(のづち)〕の弥平一味の残党で、手配中の〔小川や〕の梅吉が消えたということから、警戒が強まった。
(参照: マドンナ・ふさの項)
(参照:〔野槌〕の弥平の項 )
服部の家には、素性のしけない浪人が4,5人とぐろをまいているし、博打も行われているらしい。
結末:〔蓑虫〕の久の手引きで、火盗改メが討ち入り、全員逮捕。梅吉は磔刑。ほかは死罪。ふさは遠島。
つぶやき:『鬼平犯科帳』が、ほとんど準備なし、スタートしてしまった経緯は、どこかに書いたとおもうが。
中堅作家になっていた池波さんは、1967年(昭和42)に、『オール讀物』から4回、短篇の依頼されている。
その年の12月号用に渡したのが、鬼平がちらっと出る[浅草・御厩河岸]だった。
原稿を受け取りにきたのが、その後、『週刊文春』の編集長として名をなした花田紀凱さん。文春に入社して2年目の駆け出し。
原稿を渡すとき、池波さんがいった---。
「長谷川平蔵という面白い幕臣がいてね。火盗改メなんかもやってね」(花田さんの記憶)。
池波さんの言葉を、花田さんが杉村友一編集長へつたえると、 杉村編集長は即座に、
「その、長谷川平蔵で連載を頼もう」
池波さんが手にしていた史料としては、長谷川伸師の書庫の『寛政重修諸家譜』の長谷川平蔵の項と、『江戸会誌』の合本---明治23年(1890)6月号の「長谷川平蔵逸事」くらいのはずで、それを使い、平蔵がちらっとでる[江戸怪盗記]と[白浪看板]を他誌に書いてはいた。
長谷川伸師の書庫の合本された『江戸会誌』。池波さんはこの中の「長谷川平蔵逸事」で鬼平のイージをつくった
それほど、平蔵についてのデータは少なかった。
『オール讀物』から連載をいわれても、第1話[唖の十蔵]では、平蔵はあいかわらず、ちらっ、だった。
池波さんとしては、平蔵データの少なさは、悪漢小説として、盗人側から12回ほど書けばいいぐらいにおもっていたのである。
さて、[唖の十蔵]を新年号に載せるについて、通しタイトルが必要---というので、『鬼平捕物帳』とか『入江町の銕』とか、編集部内でいろいろでたらしい。
降版ギリギリに、誰かが、『犯科帳』とつぶやいた--その4年前に出ていた岩波新書『犯科帳---長崎奉行の記録---』がネタだった(花田さんの証言)。
シリーズ名のヒントとなった岩波新書『犯科帳』
つまり、『鬼平犯科帳』という通しタイトルには、池波さんはかんでいなかったようだ。
同時に、第1話の[唖の十蔵]を下読みした『オール』の編集長がいったとおもう。
「面白い幕臣といって売り込んだ長谷川平蔵は、どこにいるんだ?」
それで、池波さんは、あわてて、[本所・桜屋敷]を書きあげた。けれど、データなしでやったので、長谷川平蔵の屋敷や組屋敷の位置など、ずいぶん、ムリしている。
第3話以下も、しばらくは盗賊主体の悪漢小説の形をとっている。
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