〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(2)
「それにしても、よくも指名してくれた。組内(くみうち)での風向きが変わった」
明け六ッ半(午前7時)に、本郷通りの壱岐(いき)坂上で落ちあった、盟友・長野佐左衛門孝祖(たかのり 32歳 600俵)が、供の恭助(きょうすけ 22歳)の耳をはばかりながらささやいた。
高崎への旅の始まりであった。
本郷通りを北上し、加賀藩邸の先で中仙道へ切れこむ。
「なにをいう。われわれの助けあいは、一生つづくのだ」
「恩に着る」
「ばか---」
長谷川平蔵(へいぞう 32歳)と長野佐左(さざ)とは、9年前の明和5年(1768)9月4日の初見(はつおめみえ)同士の仲であった。
平蔵は西丸・書院番4の組に出仕しているが、歴代の火盗改メから頼りにされ、きょうは、本役・土屋帯刀守直(もりなお 46歳 1000石)---というより、老中・松平右京太夫輝高(てるたか 53歳 高崎藩主 5万7000石)から特別に頼まれ、盗賊の探索に出張(でぱ)るところであった。
そのとき、助手(すけて)がいると探索がはかどるといいたて、西丸・書院番3の組の番士の佐左を指名した。
佐左が、お蓮(はす 32歳)というおんなにおぼれていたのを見かねた経緯(いきさつ)は、すでに明かした。
「松造、高崎藩から借りた冬合羽の2人分を、恭助へ渡してやるがよい」
平蔵の供の松造(まつぞう 26歳)が、荷の一つを恭助へゆずった。
上州名物の空っ風除けの羅紗の道中合羽を、用人がこころ遣いを示した。
「松造。合羽はわすれても、あのお宝だけは忘れるな」
平蔵の注意を、佐左が聞きとがめ、
「お宝とはなんのことだ?」
「高崎へ着けば、分かる」
はぐらかした。
「助手にも秘密なのか」
「孫子曰く。敵をあざむくには、まず、味方から---と。悪くおもうな。佐左の第一の役目、あざむかれ役に徹すること」
「いい加減にしろ」
2人とも、屈託なく笑った。
日本橋から2里八丁(9km弱)の板橋駅でお茶にした。
(板橋駅 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
「幸い、晴れがつづきそうだから、今宵の泊まりは、上尾(あげお)ではなく、桶川宿にしよう」
平蔵の案に、佐左がうなずいた。
平蔵にしてみれば、京からの帰りに泊まった宿場ではないところを体験したかった。
(『木曾街道 蕨之駅 戸田川渡 英泉画)
浦和で昼餉(ひるげ)とした。
(浦和宿 浅間山遠望 英泉画)
(大宮宿 富士遠景 英泉画)
上尾宿で、横目で本陣・〔井上〕五郎右衛門の前を通りすぎるころには、冬の陽はだいぶ傾いていた。
4人とも、もう口をきかない。
(上尾宿 加茂之社 英泉画)
(桶川宿・曠野之景 英泉画)
上尾宿から30丁(3..5km)で桶川宿に着いた。
〔玉屋〕弁蔵方で草鞋を脱いだ。
すぐ、風呂を頼み、平蔵と佐左が先につかい、酒をなめながら、松造と恭助があがってくるのを待った。
「松造。お粂(くめ 36歳)どのが10夜も独り寝で、さみしがっていよう」
たまの遠路歩きで酒がまわったらしい佐左のざれごとを、
「いいえ。さみしがったのは、2人の子どもたちのほうでございます」
軽くうけ流した。
火盗改メからは、平蔵と佐左に、供の分ふくめて、それぞれ1日2分(4万円)ずつの旅費と、別に3両(48万)の手当てが渡されていたから、平蔵と佐左は別々の部屋をとった。
翌日は、鴻巣、熊谷と9里(36km)近くをこなし、
(鴻巣 吹上富士遠望 英泉画)
(熊谷宿 八丁堤ノ景 英泉画)
深谷宿で、〔近江屋〕彦右衛門方へ投宿した。
(深谷之駅 英泉画)
佐左の部屋には、芸者がはべった。
恭助も朝帰りであった。
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コメント
〔船影〕一味は一人も捕縛されていないのに、磔刑をおこなうって、平蔵さんはどんな策を用意なさっているのでしょう。
秘策と秘策の合戦の気味が濃くなりそうで、お竜さんがいきていればいい参謀になれたのに。
好きなキャラでした。
投稿: tomo | 2010.08.28 05:02
高崎藩主で、老中の松平右京太夫輝高侯といえば、この数年前に絹に取引き税だかをかけるといいだして一揆をひきおこし、とりさげた殿様です。
絹取引は藩の重要経済政策の一つだったから、平蔵を招いても、絹商人たちの安全を優先したでしょうな。うなずけます。
投稿: 左衛門佐 | 2010.08.28 05:19
>tomo さん
池波さんが使っていない秘策を考案するのも、けっこう、むつかしいですね。
しかも、『犯科帳』に登場する盗賊の首領は捕らえてはいけないのですから。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.29 07:29
>左衛門佐 さん
よく、ご存じですね。そんな史実があったようにもかすかな記憶があるのですが。
図書館へ行った時に、藩史事典を確かめてみます。ご教示ありがとうございました。
投稿: ちゃうすけ | 2010.08.29 07:40