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2005.07.12

〔諏訪(すわ)〕の文蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻8に収録されて、主人公としてタイトル名にもなっている、[明神の次郎吉]の父親で、盗人。息子の次郎吉(30男)が「生まれた下(しも)の諏訪(すわ)にある諏訪大明神から採(と)ってつけた〔明神(みょうじん)〕を「通り名(呼び名)」としているのに、文蔵が〔諏訪(すわ)〕を名乗っているのは、たぶん、盗め金を稼いでから下諏訪の大明神の近くに家を買ったからであろう。それまでは小百姓だった生家は諏訪湖の近くにあったとおもえる。
(参照: 〔明神〕の次郎吉の項)

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年齢・容姿:記述はないが、寛政5年(1793)盛夏の事件である[明神の次郎吉]の篇から5年前に病死したというから、職業柄、晩婚で、次郎吉が35,6歳のときの子とすると、享年は60歳前後。
生国:信濃(しなの)国諏訪郡(すわごおり)大和(おおわ)村あたり(現・長野県諏訪市大和)

探索の発端・結末:本格派の大泥棒〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛の配下として盗みの3ヶ条を守りぬいて、関東一帯から奥羽へかけての遠国で盗めてき、諏訪には骨休めに戻っていたために、畳の上でやすらかに死を迎えた。一度として捕縛されたことはない。

つぶやき:息子の次郎吉は、鬼平の剣友・岸井左馬之助が惚れこんだほど気性のいい男である。こういう男に育てあげるには、たまさかに家へ戻ってきたときの薫陶がよほどちゃんとしていたのであろうし、女房に対するしつけも行きとどいていたとおもえる。
ところでその女房だが、亭主が盗人だとわかっていないと、次郎吉がその世界に入るのを見すごはずがなかろう。
盗人業といえども、亭主の職業を女房が理解・尊敬していないと、家庭はうまくいかない。

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コメント

 
みやこのお豊さん

コメントをありがとう。今日は(四)の「霧の七郎」を読み終えました。あまりおもしろくありませんでした。

しかし、上杉周太郎がどこで活躍するか、楽しみです。

管理人さん

はじめまして。楽しいブログをありがとう。ここに登場する「おなご」さんに興味がわいてきました。

投稿: てらちゃん | 2005.07.12 21:43

生国が同じ父子なのに,どうして,父は諏訪市大和で子は下諏訪なのかと,疑問に思っていましたが,解りました。
本当にきめ細かい解読なんですね。

今の大和地区は湖が一望に見渡せる所ですが、当時ものどかな景勝地で、文蔵は家族と穏やかな休暇を楽しんでいたのでしょう。

ところで,亭主の職業を理解、尊敬するもしないも、それは亭主次第ですわね。

久栄さんも「むかしの男」の篇でいってましたでしょう「女は男しだいでございます」って。

投稿: みやこのお豊 | 2005.07.12 23:37

[霧の十郎]、あまり、おもしろくなかったって?

うーん、辰蔵があまりに弱々しく描かれていたからて゜はないでょうか。

史実の辰蔵は、父親の鬼平よりもしっかり筋をつかんでいて、父親以上に出世しているんだけど。

ま、出世は、どうでもいいっか。

投稿: ちゅうすけ | 2005.07.14 19:09

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