〔亀(かめ)〕の小五郎
独立短篇[正月四日の客](『オール讀物』1967年2月号)のタイトルどおり、正月4日に、本所・枕橋北詰の蕎麦屋[さなだや]へ、劇辛つゆの「さなだそば」を食べにくる大泥棒。
『にっぽん怪盗伝』(角川文庫)に収録。
年齢・容姿:40がらみ。でっぷりとした体躯。右の腕に亀の刺青。
生国:信濃国更科郡(さらしなごおり)から埴科郡(はにしなごおり)、小県郡(ちいさがたごおり)のあいだのどこか(現・長野県長野市から上田市のあいだのどこか)。
須坂市の亀倉町という線もないではない。
探索の発端:枕橋北詰(墨田区向島1丁目)の蕎麦屋[さなだや]は、正月3ガ日は休み、4日に店をあけるが、この日に出すのは、〔ねずみ大根〕をすりおろしたしぼり汁をたっぷりあわせた劇辛のそばつゆに、極太・色黒の麺だけ。
というのも、亭主の庄兵衛(55歳)が亡父母への供養につづている故郷の正真正銘の〔真田そば〕である。
だから、近所の客は敬遠して1人もこない。
大川橋(『江戸名所図会 塗り絵師:ちゅうすけ)
対岸の中央あたりに小さく見えるのが枕橋
寛政3年(1791)の正月----ふらりと入ってきた40がらみの商家の旦那風の客は、喜んでお代わりしたばかりか、来年も来ると約束し、そのとおりにやってきて、亡妻おこうの仏前に線香を供えてくれたが、そのとき庄兵衛は、その男の右腕の亀の刺青に気づいた。
信州から小僧として江戸へきた10歳前後の庄兵衛に蕎麦職人の修行をすすめ、いまの店を持つまで見守ってくれたのは浅草・馬道の御用聞き・清蔵だが、その跡目をついで2代目を名乗っている清蔵から、亀の刺青のある大泥棒のことを聞いた庄兵衛は、その盗人が、押し入った先で女を犯すと知り、信州で酒屋をしていたわが家を襲った盗賊団が母親を犯したのちに撲殺したことをおもいだし、来年の正月4日にくるといっていた客のことを、清蔵へ告げた。
結末:寛政7年の正月4日、やってきた〔亀〕の小五郎は捕縛されたが、〔真田そば〕をたぐるときとは一変した、悪鬼のような形相で庄兵衛をにらみつけ、「売りやがったな!」と。獄門。
つぶやき:この短篇をはじめとして、池波さんはこの年(1967)、4篇の独立短篇を大衆小説の発表の場としては最高位の『オール讀物』に発表している。
うち、2篇が白浪もの---火盗改メがらみの作品で、もう1篇が、『鬼平犯科帳』連載のとっかかりとなり、のちにシリズへとりこまれた[浅草・御厩河岸](12月号)である(前日の[〔豆岩(まめいわ)〕の岩五郎] ほかをご参照あれ)。
[正月四日の客]の主題は、結末で〔亀〕の小五郎が庄兵衛へ投げつける「人間の顔は一つじゃねえ」だが、この金言は、池波さんが長谷川伸師から教わり、共感した人間観の一つである。
本所・枕橋たもとの蕎麦屋〔さなだや〕が聖典へ登場する篇は、文庫巻2[蛇の眼]、同[妖盗葵小僧]、文庫巻12[いろおとこ]。
〔真田そば]の発想のもとは、長野県上田市の池波さんがよく行った蕎麦屋[ 刀屋] あたりか。〔刀屋]の麺は8割そば、と同店で聞いた。
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コメント
テレビの[正月四日の客]では、〔亀〕の小五郎を河原崎長一郎さんが演じていましたね。
結末で、「人間の顔は一つじゃねえ」って凄い人間不信の捨てゼリフを、〔亀〕の小五郎が庄兵衛へ投げつけたかどうか、記憶はさだかではないので、姫宮恵子さんに確かめてみたいところ。
それよりテレビでは、亡くなったのは女将のおこうじゃなくって、亭主の庄兵衛でした。おこうには大女優・山田五十鈴さんが扮していて三味線をつまびきながらの悲しげな小唄が印象的でした。
母親を浪人盗賊にレイプされた果てに殺された悲しさが、女性だけに倍加したろうと、小唄を聞きながら切なくなったもの。
投稿: 裏店のおこん | 2005.02.02 17:43
そうですか。テレビ[正月四日の客]の、〔亀〕の小五郎役は、河原崎長一郎さんでしたか。
45年ほど前、サンヨー電機の東京支店宣伝課長(代理)で、テレビ番組担当で、TBS-TVで岡本愛彦さん演出の『サンヨーテレビ劇場』(あの、『私は貝になりたい』の時間帯)で、『人情紙風舟』を前進座で放送しました。そのあと、河原崎静江さんが、お礼に社へ見えました。
長一郎さんは、静江さんのご長男ですよね。
因縁をかみしめています。
投稿: ちゅうすけ | 2005.02.02 19:31