〔四ッ屋(よつや)〕の島五郎
『鬼平犯科帳』文庫巻14に収まっている諸篇の中でも[五月闇]は、その悲劇を予感させるタイトルとともに、起きた事件が読み手に、もっとも忘れがたい印象を残しているといっていい。
密偵の伊三次が〔強矢(すねや)]の伊佐蔵に刺殺された。
(参照:〔強矢〕の伊佐蔵の項)
鮮烈な印象を受けた事件にもかかわらず、つぎの一節を記憶している読み手はそれほど多くはなさそうである。
伊三次は、盗賊改方の御縄(おなわ)にかかったとき、四ッ屋の島五郎という盗賊の下(もと)でいそぎばたらきをしていた。
〔四ッ屋(よつや)〕の島五郎が顔を見せるのはこの1行きりで、年齢・容姿、探索の発端、結末など、いずれにも筆が及んでいない。
ただ、〔四ッ屋〕という「通り名(呼び名)」は、生国推定の手がかりにはなしえる。データベース『旧高旧領』からリストをつくってみる。
・陸奥国津軽郡四ッ屋村(現・青森県南津軽郡平賀町四ツ屋)
・羽後国仙北郡四ッ屋村(現・秋田県大曲市四ツ屋)
・越後国頚城郡四ッ屋古新田(現・新潟県?)
・ 頚城郡四ッ屋村(現・新潟県糸魚川市四ツ屋)
・ 古志郡四ッ屋村(現・新潟県長岡市四ツ屋)
・ 蒲原郡四ッ屋村(現・新潟県燕市四ツ屋)
・信濃国水内郡四ッ屋村(現・長野県長野市川中島町四ツ屋)
・ 更科郡四ッ屋村(現・長野県小諸市?)
つぶやき:リストを見ての第1候補は、長野市川中島町四ツ屋と気づく。
『よい匂いのする一夜』(講談社文庫)の長野の旅亭〔五明舘〕の項に、
以前は、一年のうちに何度も何度も信州へ出かけて行った。
何度も出かけた土地へ旅行するのは、私の癖なのだが、数えきれぬほどに足を運んだ京都に次いで、信州への旅が最も多かったろう。
武田信玄の近くに潜入した忍者・丸子笹之助を描いた『夜の戦士』(角川文庫 初出:1962.01.16-63.01.29 宮崎日日新聞ほか)の前半部は「川中島の巻」とサブタイトルされている。
伊三次のことのほかには気をちらせたくない[五月闇]での池波さんとすれば、伊三次のかつてのお頭には、自分の中ではとっくになじみになっている地名を冠してすませてしまいたかったろう。
〔強矢(すねや)〕---「矢」---「や」---「屋」---〔四ツ屋〕と連想が走ったのかも。
もちろん、新潟県や青森県の鬼平ファンの方々のご意見もいただきたいが。
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コメント
四ツ屋は、4軒の家が語源ですね。
江戸の四谷も、4軒の家があったからの地名と、なにかで読んだことがあります。
欧米では、ラッキー7。わが国では「八」の文字の形から、末ひろがりでめでたい数字です。
しかし、100%めでたいことは、そうそうはない。半分の「四」で我慢しておこう。で、4軒あったら、めでたい集落---ということなんでしょうか?
投稿: 文くばり丈太 | 2005.04.19 01:28
>文くばり丈太さん
江戸の四谷=4家説、ぼくも、かつて江戸の地誌で読んだ記憶があります。
四ッ屋の語源は、おつしゃるとおりのことを、つい最近、〔四ッ屋〕の島五郎関連で角川の『地名辞典』を確かめたときに目にしました。
さすがに、お鋭い。
「四」の、めでたさ半分説には、おもわず笑ってしまいました。失礼。
今後とも、ご教示ください。
投稿: ちゅうすけ | 2005.04.19 04:09
文くば丈太さま
いつも鋭いコメント、拝見しております。
今回の100%でなく半分の「四」、で我慢
しておこうという御考え、管理者さんは思わず
笑ってしまったと、おっしゃいますが、私は
非常に感動しました。
皆がこんな気持ちでいたら、世の中平和になりますね。
投稿: みやこのお豊 | 2005.04.19 08:19
>みやこの豊さん
「笑った」のは、おかしいからではなく、同意の「莞爾とした笑い」というヤツです。
言葉が足りませんでした。
投稿: ちゅうすけ | 2005.04.20 05:15