« 田沼意行の父(4) | トップページ | 銕三郎、初見仲間の数 »

2009.05.11

ちゅうすけのひとり言(33)

朝日カルチャーセンター(新宿)の{鬼平クラス]は10年間つづいた。
2年前に体調をくずし、閉講に。

受講生の方々とは、いまも文通がある。
その中のお一人---ハンドル・ネーム〔くまごろう〕さんは、中山道を完歩し、その記録は、別のブログ[『わたし彩(いろ)の『江戸名所図会』]に部分的に転載させていただいている。

その〔くまごろう〕さんから、最近、また、『鬼平犯科帳』を読み返し、「第3巻まで一気に読了しました。新鮮でした。痛快でした。恐れ多いことながら、池波さんの小説の構想力、筋立てに改めて瞠目しました。まさに最高のエンターテインメント小説だと思いました」

「読み返したのも[1-4 浅草御厩河岸]が9読目で最も多く、[3-6 むかしの男]が4読目で、その間に各篇の読んだ回数が散らばっていました」---ー〔くまごろう〕さんのように記録はとっていないけれど、ぼくも負けない程度には読みかえいているとおもう。

さて、〔くまごうさん〕のメールに、「[2-4 妖盗葵小僧]のラストに、

>粂八はあたまをかき、
「これだけはあいつらと同業の私ども四人でなれば出来ねえことで---」
照れながらも、めずらしく得意げに鼻をうごめかしたものである。<

と、ありますが、4人とは誰と誰なんだろう? と、疑問が湧きました」

たしかに、その篇までに登場した岩五郎相模彦十を入れても3人である。
くまごろう〕さんは、当ブログ[『鬼平犯科帳Who's Who]の事項細見もあたってみたとおっしゃっていた。

『鬼平犯科帳Who's Who]の事項細見---当ブログの初期画面の左欄---カテゴリー、171文庫 第1巻~178文庫 第8巻までで中断してる採集事項のことである。


ちなみに、各篇に登場している密偵の項をピックアップすると、

[1―1 唖の十蔵]・天明7年(1787)の春から
  ◎密偵:---

[1―2 本所・桜屋敷]・天明8年(1788)年小正月
 ◎密偵:岩五郎 p49 新装p52
 ○相模の彦十(50をこえた)p65 新装p69

[1―3 血頭の丹兵衛]・天明8年(1788)年10月
  ◎密偵:---

[1―4 浅草・御厩河岸]・寛政元年の夏から秋
 ◎密偵・岩五郎 35.6歳 p123 新装p130

[1―5 老盗の夢]・寛政元(1789)年の初夏から暮
 ◎〔小房〕の粂八 鎌倉河岸で味噌おでんの屋台店
   p162 新装p172

[1―6 暗剣白梅香]・寛政2年(1790)年初春
 ◎密偵:〔小房〕の粂八 p276 新装p292
 ◎密偵:〔相模〕の彦十 p277 新装p293

[1―7 座頭と猿]・寛政2年(1790)
  ◎密偵:---

[1―8 むかしの女]・寛政2年(1790)年晩夏
 ◎密偵:〔小房〕の粂八 p276 新装p292
 ◎密偵:〔相模無宿〕の彦十 p277 新装p293

[2―1 蛇の眼] 寛政3(1791)年の初夏
  ◎密偵:---

[2―2 谷中・いろは茶屋] 寛政3(1791)年晩夏
 ◎密偵:小房の粂八 p84 新装p89

[2―3 女掏摸お富]・寛政3年(1791)年の夏
  ◎密偵:---

[2―4 妖盗葵小僧]・寛政3年(1791)年初夏から
     翌4年へ
 ◎密偵:小房の粂八 p123 新装p130

たしかに、ご指摘のとおりなので、[2-4 妖盗葵小僧]を読みかえしてみたら、採集洩れがあった。

 ◎密偵:名なしの別の密偵 p190 新装p200 

小房〕の粂八には、「鬼平直属の密偵」とある。p123 新装p130
ということは、池波さんの頭の中では、佐嶋筆頭与力やほかの与力・同心が使っている名なしの密偵が数人いるということであろう。

粂八のほかの3人は、その夜、動員された彼たちのことと判断したのだが---。

参照】〔小房こぶさ)〕の粂八
〔小房(こぶさ)〕の粂八が見かけた

|

« 田沼意行の父(4) | トップページ | 銕三郎、初見仲間の数 »

200ちゅうすけのひとり言」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 田沼意行の父(4) | トップページ | 銕三郎、初見仲間の数 »